芦澤:

はい、それではプロジェクトを見ていきましょう。
かなり多くのプロジェクトをされていて、20かそれ以上ある中で、この全部の話を山崎さんのペースで聞いたら、3時間あっても終わらない!と思ったので、4つくらいに絞って説明をしてもらおうと思います。

山崎:

今日はすごく楽しみだったんですよ。このやり方は僕も初めてで、20ぐらいのプロジェクトを二人に送って、その中から興味があるものを選んできてもらっています。
僕らはワークショップでよく、自己紹介ではなく、他己紹介というものをしてもらうんです。他の人が自分のことを紹介してくれるわけです。ぼくがやっていることはもうほとんどコミュニティデザイナーみたいなことになっているので、お二人から僕の仕事がどう見えているのかということはすごく知りたかったのです。今日ここに来るまで、僕はお二人から何を聞かれるか知らない訳です。だから「家島」が出てきて、この後何が出てくるのは、逆にお二人を試しているような感じです。「うわっ、そんなの選んだんだ」とか「えっ、それ聞きたいの?」という感じで、楽しみに来ました。
それで最初がこの家島のプロジェクトですね。

芦澤:
家島を僕が選んだ理由は、トータルで島のこと、「人」のこと、最終的には「もの」もここにはある、と感じたからです。実はちょっと頂いたスライドの中で「もの」が見えにくかったんですよね。でも家島にはその2つの要素があったので、まず山崎亮がやっている総体として選びました。かなり長い年月やられていますよね。
山崎:

2002年って書いてありますからね。僕らは先ほどご紹介をいただいたように2005年からstudio-Lという事務所をやっていますから、そうすると2002年というのは独立する前からやっていることになるんですね。
だから、設計事務所に勤めてらっしゃる方もよくやるかもしれないんですけれども、休みの日とか、夜12時以降とか、なんかそういう時間にこういう自主プロジェクトをやります。ただ、勤め人だと自分自身がなかなか動けないので、これは学生と一緒に進めていったプロジェクトです。家島町というのは、淡路島と小豆島(しょうどしま)の間にあるところで、僕らが関わったときは、独立した町でした。途中で合併して姫路市家島地域になった場所です。今は採石業が今盛んで、元々は網を編んでいるよう漁業をやっていたのですけど、途中から石をとって関西国際空港の基礎にしたり、そういうことをやってきた場所です。今の課題としては採石や海運が衰退して、公共事業が減っていますから、そういう土木の仕事が減ってきたということと、それからやっぱりエコに関して、ピークオイルを含めてこれからますます原油が高くなってきますから、採石とか漁業に出て行くためにもオイルが高いんです。あと最後に、街づくりに対する関心がすごく低い島だったのですね。この島はもともと、採石で二億円の借金をしてガット船を購入して、一億ずつ儲けて借金を返しますというようなことをやっていましたから、お金がすべてのようなところがあるのですね。だからそういう場所で街づくりのようなしおらしい話を持っていっても、ほとんどみんな興味を示してくれなかったというのがあります。別のプロジェクトで僕らと一緒にやっていた学生が一人いまして、その学生が卒業制作で街づくりみたいなことをしたいと言い始めたんですが、有名な街づくりのところに行って、話を聞いてくるというのではやっぱ駄目だよと言ったのです。街づくりということを僕らがやっていて一番重要だと思うのは、知らない場所に入っていって、そこの人たちとコミュニケーションをとって、今その町が課題だと思っていることは何なのかを引き出してくること。それがとても重要で、その町の課題が何なのかが分かれば、あとはそれをどう解決するのかを提案するだけだから、たとえて言えば西日本の地図を壁に張って、大阪目がけてダーツをぴゅっと投げてたまたま刺さったところへ入っていって、誰も知り合いはいないんだけど、一流の笑顔とコミュニケーション能力でそこの地域が抱えている課題というのを発掘してこいという風に言ったら、彼女は本当にダーツを投げて、大阪から遠く離れた姫路の島に当たってしまい、家島に行ってきますと言って島を歩きはじめたのが、この島に関わるきっかけです。
僕はそのときは、まだ非常勤講師として大学に行っていて、実務として設計を設計事務所に勤めてやっていましたので、彼女や他のメンバーが、そこに入り始めたのは、業務として入ったというよりは、研究として入ったのがきっかけですね。
見ていただいているとおりに、原油も含めてマイナスがすごいので、家島町の経済再生プランを考える委員会が発足しました。その委員会に、今、話に出てきた西上さんという学生が、若い学生の意見も聞きたいということで、偉い採石業組合長、漁業組合長たちの中にひとりぽつんと座ることになって意見を求められることになったんですね。なかなかないことだと思うんですが、学生の意見もやっぱり新鮮だから聞いてみたいということで、座長の一橋大学の関先生が、学生を一人入れたほうがいいということで、役場がそこに座らせたらしいです。西上さんはですね、そこに座って、そこでどんな話があるのかを要約して、携帯のメールから僕が働いているところへメールを送ってきて、今こんな話になっていますが、私は何を言えばいいでしょうかみたいなメールがきて、僕は設計事務所で仕事していますから、じゃあ、こういうことを言ってみたらとメールで送ってみたら、それをそのまま言うと、ここの人たちにめっちゃめちゃ怒られたらしいですね。何を生意気なことを言うてんのや。ねえちゃんのたわごとに付き合ってる場合ちゃうんや、みたいにすごく怒られて、「あの…先生、言えば言うほど、すごい怒られるんですけど」というメールがきて、「いいからこれも言っておけ」というやり取りをしていたら、みんなに総すかんをくらったんですが、ただ呼んだ関先生という大学の先生がすごい笑いまくっていたらしくて、なんて威勢の良い女の子がいるかと喜んでいたのと、あと役場の企画財政課の課長さんが、彼女が言っていることはもっともだ、と仰っていたようです。
それで、何を言っていたのかというと、経済を再生させるのはもう無理でしょうと、例えばオイルの値段を下げなきゃいけない、石を売る値段を下げて中国と競わなきゃいけないというような話をこの委員会ではずっとやっているのですけど、デフレスパイラルで安くすれば原油と拮抗するから、儲けが少なくなり、たくさん売らなきゃいけないみたいな話にどんどん繋がっていってしまう訳です。それをやってもしょうがないから、今までかなり儲けていた島なので、生活に使っていたお金を、どれだけ少なくして、遊びに使っていたお金を使わないで島のための活動をすることで、みんながチームになったり楽しんだりできたら良いんじゃないと。だからゴルフやパチンコに行く時間をやめて、お金も払わないで、むしろ島の中の街づくりとして自分たちが楽しいことを出来れば、お金かけずに、新しい友達を作って楽しんだら良いんじゃないですか?というような話をここで言っていたんですね。
それがまあ、もっともかなという話になりまして、家島町で初めて街づくりという冠がつく研修会をやりました。これは2003年、西上さんが卒業した後に卒業論文の内容を示したら、じゃあみんなで街づくりみたいなものをやってみようということで、研修会を役場がやりました。

 

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