芦澤:
今の山崎さんの話からいくとね、だんだんと建築家もランドスケープデザイナーも仕事がかなりかぶってくる可能性があると思います。ある種のコーディネーターというのかな、人々を巻き込んでいくスペシャリストという大きな概念があって、建築家にしてもランドスケープデザイナーも、ある時代でどこか専門化していったときに社会がつくった職能。これが建築家としてやっていく職能として不安ではあるんですよ。不安ではあるけど、コーディネーター的役割を果たさないといけないだろうなと。そのスタンスの方がこれからは可能性があるな、というか「もの」にこだわり続けるという必要性は必ずしもないところがあって、その辺に関しては共感する部分はあります。
山崎:
だから、僕も逆に楽しみなんですよね。時代が当に変わってきているなということは実感できているんで、この時代に生まれたことをやっぱりすごくうれしくと思います。だから、ランドスケープデザイナーだったら130年ぐらいなんです、歴史が。ランドスケープアーキテクトというものができて、建築だって150年ぐらいですから、そのぐらいのスパンで職能が変わっていいですよね。かつて変わるとき、大工さんは不安だったと思うんですよ。新しい時代がきて自分のできることを変えていったように、たぶん建築家なりランドスケープデザイナーは変わっていくといいと思いますし。それの典型というか、うまいやり方だったなと思うのは、ニューヨークのハイラインというプロジェクトですね。ディラー・スコフィディオという人たちが関わっているから建築の方々もご存じだと思いますけど。ディラー・スコフィディオという建築の設計事務所とフィールドオブレーションズというランドスケープの事務所が組んでデザインしてデザインしているように見られていますが、その人たちが関わる10年前からフレンズオブハイラインというNPO法人はあのプロジェクトをずっとドライブさせているんですよね。フレンズオブハイラインが訴訟を起こしたり、議員とやり取りしながら、高架であるあの場所を細長い公園にしましょうと提案をしてコンペやって、とったのがランドスケープの事務所でした。建築家とランドスケープとコミュニティーデザインをやってる3社でやっているプロジェクトなんですよね。今、ハイラインのホームページを見にいくとおもしろいプログラムがいっぱいあの上で実施されています。アートのプログラムもあるし、自然観察のプログラムもあるし、いろんなことをやっているんですよね。あれはすごく幸せなプロジェクトとして成熟したプロトタイプだと思います。ああいうプロセスを見ていると、建築家はランドスケープやコミュニティーデザインをする人たちとどういう風にコラボレーションしていくといいか、新しい職能としてその人たちをプロジェクトチームとして呼んでいけばいいとか、すごく学ぶところが大きいのじゃないかなと思っていますね。
芦澤:
ものづくりにしても、ことづくりにしても、あるプロフェッショナリティーに特化せずに、先ほど共有という話もしていますけど、どう共有していくのかというプログラムをつくっていくことが僕らの職能なのかなという気がします。平沼さんどうですか。
平沼:
やばいですよね。明日、事務所に行ってみんなに言わなきゃ。うちの事務所大丈夫かな。でも、職業って何年かピッチになくなったり、危機があるじゃないですか。建築のあり方というのも、僕らの上の世代の建築家の人たちとか、二回り上くらいの巨匠建築家のやっていることを見ていても、ある種学生のときは憧れて真似ていくんですけど、どんどんやっていくと何か違うよね、という感覚が生まれてきてしまいます。建築って、つくった後どうしていくのかということが重要になってきているので、つくるときに、つくらないほうがいいんじゃないかなということに僕らの世代は考えてしまうんです。依頼されたときに、本当にそれいるの?とか、本当にそれ使うの?ということを聞いてしまうんです。その上で建築をつくっていくという位置付けは、これからどんどん増えていくんじゃないかなと思います。
山崎さんが言われているのは、きっと建築というものがなくなるわけではなくて、必要なものとしての建築、またはサスティナビリティというような言葉が適合するかはわからないけど、どんどんプログラムを変えていっても耐えうる建築であったり、そこの空間が質の高いものになっているかということが、もう一度問われてくる時代なんじゃないかな、という風に感じています。
芦澤:
ずっと残るものをつくるとしたら残るべきものをつくらなければいけない。残るということは物質的だけではなく、その場にあっていろんな人に影響を与えるわけだから、人々にちゃんと受け入れられるものをつくっていかなければいけない気がしています。
山崎:

最近のそのデザイナーの仕事を見ていて思うのは、「自分がこれをつくりたかった」というのは、なかなか残りにくいですよ。みんなのためになっていないところがあるから。全部みんなのためにつくる必要はないにしても、今、その世の中や社会にどういう課題があって、みんながやっぱり切望しているというか、「なるほどそういうものがあったら俺らはよくなるんだな」と思ってもらえるようなものを真摯につくっていくことって、当たり前だけどすごい大事な気がするんですね。それがなんとなく、潮流としてそうじゃない「かたち遊び」になってしまっているとすれば、残るものにならなさそうだなと思うのが1点。だって次にまた、新しいかたちがくれば、そっちに目映るだけですからね。もう一つは、本日資料としてお配りしたイシュー+デザインという紙があると思います。あと、神戸+デザインというのがありますが。イシューというのは今言った社会に対する課題なんですね。社会が抱えている課題をどういう風につかみ取っていけるか、これ、デザイナーとかランドスケープデザイナーとかアーキテクトはすごく得意としているところだと思います。課題ってなんなのか、それを独特のやり方で解決していくのがデザイナーがすごくうまいところなので、そこをちゃんと若手のデザイナーと学生たちと考えようという風にして、神戸市さんと博報堂さんとフェリシモさんと進めているのがイシュー+デザインというプロジェクトです。ちょっと宣伝みたいになっちゃうんですけど、参考になるかもしれないのでぜひ、一度ホームページをごらんください。今、普通の一般的な市民の人たちが「このへん課題だと思う」「このへんがちょっと私やだ」「都市の中でこのへんがやだ」みたいなことがどんどん出てくるサイトなんですね。みんながつぶやいたらそこに反映されて、その中でみんなが多くの人たちが課題だと思ってることをまとめてデザイナーに投げて、これで1回コンペしましょうというプロジェクトです。出てきたのが震災の話だったりだとか、自転車交通の話であったりだとか、食の問題とか、そのあたりがすごいツイッター上で問題意識が高かったものなので、そういうみんなが問題だと思ってることで密接なデザインを出すことができれば、そのデザイナーはやっぱり優秀だと言ってもいいと思うし。それがおしゃれだとかなんとかだとか言う前に、1000人の人たちがそれを欲望として欲しがっているわけだから、ちゃんとそこに答えを出せるかどうかがデザイナーに問われるスキルになるだろうなと思います。

 

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