平沼:もともと217は、僕と芦澤さんが飲んでるときに、2ヶ月に1回飲み会をやろうっていう話になって、それで始めた会なんです。でも、2人で話しててもスタッフの悪口だったり、建築って難しいなっていうよくない話になってしまうので、1人ゲストをお呼びして、よくない回転をよくしようっていうことになりまして、今日は五十嵐さんに来ていただきました。
五十嵐さんとの出会いは、僕も芦澤さんも一緒くらいですよね。

五十嵐:そうですね。たぶん飲み屋ですよね。

平沼:そうですね。

五十嵐:もう10年位前ですね。

平沼:そうですね。今日は、まずはさっきの話の続きで、震災のことを伺っていきたいのですが、北海道にいらしていかがですか。震災の影響だったり、震災に対する考え方というのを聞かせていただけますか。

五十嵐:僕が住んでるエリアって、あまり地震で揺れないんですよ。僕は子供の頃から地震を体験したことがほとんどないので、地震のリアルな怖さを全くわかってないんです。3月11日は事務所にいたんですが、ほんとにかすかに揺れたかなっていう程度だったんですね。だからしばらく深刻度合いがわからなかったんです。ただ、ネットとかラジオからすごい速報が入ってきたでしょ。事務所の隣が自宅なので、すぐ自宅に戻ってテレビをつけて見たら、リアルタイムに津波がうわぁーっと来てる光景を目の当たりにするわけですよ。どこでしたっけ? 前にインドかどこかの津波の映像がありましたよね。

芦澤:スマトラですか?

五十嵐:そうそう、スマトラ。あれぐらいしか実際の津波を見たことがなかったから、想像はしていたけれど驚いたというか唖然と見てるしかなくて、結局3、4時間ずっとテレビを見てましたね。見てただけです。そこで何かを考えていたわけではなくて見てただけ。それがその日の僕の体験です。その後いろんな雑誌で緊急企画みたいなものをやられていて、僕のところにも依頼がありました。震災の臨時号の見開きに、自分の考えをビジュアルと短いテキストで表現するというものだったんですけど、頼まれたときはかなり困りましたよね。断ろうかとも思うんだけど、ここで断ると何かを放棄してるような気になるので、なるべく放棄せずに自分なりに考えたいと思ったんです。震災自体に何か思うことがあるかというと、そりゃ膨大に思うことはあるんだけど、僕は研究やリサーチもしていないし、現地にも行っていないし、政治や世の中のややこしい仕組みについてもそんなに詳しくわからないので、提言できる立場ではないと思ってるんです。ただ、震災を見たときになぜか自分の住んでいる佐呂間町という過疎地と被ったんですよ。過疎化って穏やかに緩やかに人工が減っていくんですよね。だから誰も気が付かないうちに、あれ? 100人くらい人減ってるよ? みたいなかんじなんですよ。佐呂間町もそういう状態が毎年続いているんです。僕が子供の頃は今の2倍くらいの人がいたのに、今はもう5000人くらいに減ってしまって、やっぱりそれってすごい寂しいんですよね。今回の津波では一気に人がいなくなってしまったんだけど、街から人が消えるという状況が過疎と被ったんです。それで、緊急企画のテーマとして、過疎地をなんとかしたいという提言をあえてしました。震災自体に何を思うかというと難しいんだけど、いちばん強く思ったのは、記憶をしっかり継承してほしいということですね。今回被害のあった地域というのは、過去に何度も津波が来てる地域なんですよね。その過去の被害を知っている人たちってまだ生きてるんです。当時、津波の被害を受けて、街がいったん小高いところに移ったという記録もあるんですけど、時間がたつと漁師の人は海の近くに居を移すわけですよ。やっぱり便利だから。すごく分かるんです。農家や漁師って、食住が密接な方が絶対便利なんですよ。農家なんか特に季節物だから、収穫時期や種を蒔く時期はすごく忙しくなる。住んでるエリアと職場が近い方がいい。むしろ同じじゃないと困るという事情はよくわかるんです。でもね、過去を知ってる人たちは、いずれまたここに津波が来るだろうっていうことをわかっていたはずなんですよ。だけど日々の便利さを選択してしまった。やっぱりね、どれだけ悲惨なことだったのかという記憶を、しっかりと継承してほしいですよね。そうすれば、何十年に一回なのか、次は100年後か1000年後かわからないけど、高台は安全だから少し不便でも我慢しようぜっていうことになると思うんですよね。たぶん関西の人もそうだと思うんですけど、みなさん1時間半とかかけて通勤するじゃないですか。恐らくあのエリアの漁師の人が、居住エリアを高台に移したとしても、港までせいぜい車で5分くらいで通勤できるはずなんですよ。その5分が我慢できないのかと。今回こういうことになった以上は、同じことを繰り返してはいかんときっと誰もが思ってますよね。あれだけの被害を復活させるのにかかる国の負担って膨大なわけですよ。もちろん被災したことに対して同情はするし悲しいんだけど、国のロスがあまりにも大きくなると、それは被災地だけの問題じゃなくなってきますよね。だからもっと合理的に地域を再生していかないといけないと思います。産業はある程度は再生がききますけど、住居は再生がきかないので、過去に被害のあった地域に絶対に建てさせないように、国が法律をつくって制限しないといけないと思います。その代わり、幸せな状態で暮らせるような市街地を、ちゃんとした場所につくってあげると。可能であればそこに我々のような建築家が関われればいいなと思います。
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