平沼:すごい説得力がありますね。
僕はこの「風の輪」が、五十嵐さんの作品の中で一番好きな作品なんです。
以前、「風の輪」を見られた建築史家の藤森照信さんが、この世代でこんな木造をつくれる人がいたんだっておっしゃって。

芦澤:すごいですね。

五十嵐:藤森さんが?そうでしたか。

芦澤:開口部についてはどう考えてますか?「矩形の森」は、外部に対してほとんど窓がないですよね。

五十嵐:ないですね。

芦澤:それも聞きたかったのと、「風の輪」も比較的、もちろん窓はあるんですけど、比較的こう閉鎖してるなぁというか、内向きな表情をしてるなぁと思うんですけど、どうでしょう?

五十嵐:これは建物がすごい長くて、44mくらいあるんですね。だから「矩形の森」みたいな解き方をすると、ガラスが膨大になってお金がかかるし、熱効率も悪くなっちゃう。あと既製の大きさのサッシしか使えない状況があったんですよね。そこで光の分布を考えるわけですね。細長い建物の中に暗がりはなるべくつくらないように、光を点在させていくみたいなかんじですかね。窓から何が見えるとかいうことは一切考えてないです。細長い空間の中に光をどう分布していきつつ、必要な場所には必要な大きさの窓を分散していくと。例えば「原野の回廊」という建物も、こういう感じの窓が分散されているんだけれど、それも一切外の風景をこう見せるとかっていうことは考えずに、光をいかに安いコストで分配していくかみたいな、そういうやり方なんですよね。

芦澤:なるほど。相当内向きというか、内部空間を完結的に考えるということですか?

五十嵐:そこは難しい議論になってくるんだけども。何を拠り所にするかっていうことを考えたときに、例えば東京の場合だと、狭小地で周辺まで建物が迫ってるわけですよね。その周囲の建物たちっていうのは、いつどういう状況になるかもわからないにも関わらず、そんなものを拠り所にして設計をしてしまったら、一年後に隣の家がビルになっちまったっていうことが起きるかもしれないわけですよね。それってあまりにも普遍性がないなと思ったわけですよ。拠り所にできないような状況を頼りにして設計をしたくないという気持ちが非常に強くて、仮に世界遺産に面した敷地だとするならば、恐らく窓の向こうの風景は半永久的にそのままだと思うんだけれど、実際はそうじゃないことが多いはずなんですよね。「風の輪」の場合、周りが畑だし、それは信用できないなって思ったんですね。もうひとつは環境面の理由も大きくて、寒いとね、ガラスが大きいのがしんどいんですよ。これはすごくシンプルな話で、熱効率の問題で開口率が減ってくんですよね。

芦澤:今日たぶん紹介されないと思うんですけど、湘南で一戸やられてますよね。

五十嵐:はい。

芦澤:それはけっこう、考え方としては全然違うんですか?

五十嵐:あそこは真逆で、暑い地域なんですよね。

芦澤:なるほど。

五十嵐:設計している人なら誰でもわかると思うんですけど、太陽による室内環境への影響っていうのは膨大ですよね。もちろん暑い地域でも同じことが言えて、太陽の影響を受けなければ、室内環境は安定するわけですよね。「湘南の家」はそういう概念でつくりました。

芦澤:なるほど。じゃあ、何が見えるとか、周辺のコンテクストから開口部を決めるとかっていうことはやらないですか。

五十嵐:やらないですね。もちろん隣の家のリビングの窓があるところに、自分の家のリビングの窓を開けるっていうことは避けますよ(笑)。僕が考えるのは主に光の分布みたいなことですよね。仮に夜景が見えるとしてもね、ただガラス張りにすりゃいいってものではないと思うんですよね。ここが人間の面白い心理だと思っているんですけど、人はどんなに美しいものでも、見えているものを無意識に無視するんですよ。だから、見たいと思わせるような開口部のつくり方を周到にやるんだったらいいけど、ただシンプルに景色のいいほうにガラス張りっていうのは、あまりにも芸がないなって思っちゃうわけですよね。恐らく僕がそういう場所で設計をさせてもらえるチャンスがあったならば、常に意識の中にその美しい風景が入ってくる、または見たいと思わせるようなプランとか、開口の開け方を探すんだと思いますよ。かなりひねくれた感覚があるんでしょうね(笑)。

平沼:なんだか質問をせずに回答を得たような感覚があります。(笑)

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