平沼 : 次にいってもいいですか。

スライド : 『Nest or Cave』

藤本 : このNest というのは、どちらかというと、人間のためにちゃんとつくられた場所。鳥の巣なんかも、つくりは荒いけれど、鳥が快適なようにちゃんとつくっているんですよね。それに対してCaveというのは洞窟ですけど、それは人間のためにつくられてない場所、人間とは関係ないですよね。だから、似ているんだけど、全然違う概念。Nestという巣は、今までの近代建築とか、人間的にちゃんと住みやすいようにつくろうねというのがこっちの巣の方です。それに対して洞窟みたいな建築があったらどうなるのだろうという問いかけなんですよ。次のスライドで、コルビジェのドミノ、これはその機能的な建築をちゃんとつくろうという枠組みですよね。それに対して、次のスライドは機能的とはあんまりいえないんだけど、階段のおばけみたいな、住宅のプロジェクトで、10年くらい前に仕事がないときに、なんか未来の建築でも考えないとだめなんじゃないかなと思って、勝手につくっていたんですね。機能はいまいちはっきりしないんだけど、35cmという段差をつけてあげると、座ろうと思えば座れるし、机みたいに使おうと思えば使えるし、棚みたいにも使えるし、人間がその場所と、インタラクティブに関係をもった瞬間に、ふっと機能が現れてくるっていうものなんですね。機能を先につくって、使ってください、というものではなくて、地形みたいなもののなかに、人間っていうのは実はいろいろな使い方を発見できるんじゃないかなと。だとすると場所と人間の関係ってもっと豊かになっていくんじゃないかなというイメージだったんですよね。この頃は若かりし頃の僕自身が模型をつくっていたから汚いんですけど、こういう建築というか、地形というかみたいなものをつくり出すことで、建築の概念が変わっていくんじゃないかなということを考えていたんです。ただ、さっき言っていた自然のような場所という意味では、洞窟みたいな地形的なものを、どうやって建築のほうに引き寄せていくかという、いま考えると、そういうことだったような気がします。
これはプレゼンテーションのときに使っている絵で、ベトナムのどこかの市場なんですけど、アジアの人ってこういうのすぐさま理解できますよね。ものがいっぱいあって、マーケットだから売り物がいっぱいあるんだけど、ぜんぶ自分の周りに集めて、場所を作っちゃうみたいな。だからNestとも言えるんだけども、この混沌のなかに場所を見つける感覚って言うのは、洞窟に快適な場所を見つける感覚に近いんじゃないかな、とか。
次の絵は、これはうちの事務所ですね。同じようなごちゃごちゃした中で、日々スタッフはそれでもかすかに快適な場所を見つけたい!という感じですね(笑)。
次のスライドは、バンコクだと思うんですけど、外なんですよ、右にちょっと木が見えていますけど、外なんだけどなぜか炊飯器が置いてあったり、扇風機が置いてあったり、使い道がよくわからない、でも自分の場所ができているという写真です。
次はまたうちの事務所ですね。ちなみにここに写っている女性は今日会場に来てますが、うちのスーパーインターンですね。この住宅を発想したときには、まだ一応自分の家とは別に、事務所のスペースを持っていたんですよ。だけどこのアイディアの根っこを考えたときには、僕は自分の6畳のワンルームで、ベッドもあり、製図版もあり、コンピューターもあるっていう、すごく狭い状態でやっていたんですけど、模型をつくるじゃないですか。で、置くところがないから、とりあえずベッドの上に置いておくかっていう感じで、いっぱいになってきて、今度は寝るときに、その模型を床に動かすわけですよね。だんだん物が増えてくると、製図版の上にも模型を置いたりして、6畳一間が、やたら立体的な層を成してきたわけですよ。あるとき、これってプリミティブに人間が暮らしていくとの風景としてあるんじゃないかなって。さらに、部屋がせまくて、ベッドってだいたい高さ30cmくらいじゃないですか。製図版が70cmくらいの高さにあるんですけど、入りきらなくて、少しオーバーラップしていたんですよ。それを見たときに、この段差が続いていったら、模型をもっと置けるし、俺も上のほうに行けちゃうし、って考えて、すごくリアルな感じがしたんですよね。そんなことがあって、新しい建築を考えるというより、自分のリアルな生活を抽象化するというか、モデル化して、建築に落とし込んでいった、そんなプランだった気がします。
模型はアクリルでできていて、きれいなんだけど、けっこう生々しくて、僕自身がこの表面に、例えば脱ぎ散らかした服とか、読みかけの本とか、なんでもいいんですけど、生活にまつわるすべてがぶわーっと表面に露出してくると、迫力がある新しい生活の可視化になるんじゃないかなと思って、けっこう盛り上がっていました。

平沼 : いまの伸びやかな平面の事務所では、こういうアイディアは出なかったですか?

藤本 : あ、いや、面積は大きいんだけど、同じようなことが起こるんです。何ですかね。物が過剰になっていくんですかね。人が入れないエリアがあって・・・まぁいいや、次いこう(笑)。

芦澤 : ひとつ質問いいですか?

藤本 : はい。

芦澤 : これレベル差は350mmで一定なんですけど、もともと言われているCaveの感覚は、もっと混沌としていますよね。例えば350の決め方というか、そこがけっこうランダムになってもいけそうですよね。それと平面的にずれているところがイスになったり机になったりということで、少なからず藤本さんが機能を想定すると思うのですが、どのあたりまで設定して、どの辺で手を離すかっていうところを、藤本さんどうやってるのかなと思って。

藤本 : そこは肝ですよね。幸いというか、不幸にというか、例えば350mmで全部いかなくてもいいんですよね。半分とか、倍くらいになってるところとか、ランダムになっててもいいんですよね。

芦澤 : そうですよね。

藤本 : ところが、僕の中であんまりランダムにしたらこれ、めんどくさそうだなっていうところがあって(笑)。

芦澤 : (笑)

藤本 : まずは350mmでいっちゃおうかな、と。平面図を描くときも、けっこう真面目に悩んたんですけど、機能が無いって言いながら、なんかここ座れそうだよなぁって思っちゃうじゃないですか、製図していくうちに。いかんいかん、ここは座っちゃいかん、でも、ここにちょっと座れるようにしておこうかな、みたいな変なジレンマが積層していくんですよね。だから場所をつくらなきゃいけないんだけど、つくりたくないみたいな葛藤の末に、なんとも言えないものが出来上がってしまったんですよ。当時はとにかく何かをかたちにしたいというのがあってやっていたんですけど、例えばコンピューターで自動生成していくともっといいのかなとか、間隔もある程度ランダムになっていくと、より概念としてはCaveに近づいていきますよね。ただ、そのコンピューターを操る技術がなかったということと、このコンセプトというか、考え方自体で良しとしてしまったところがあったんですよね。それは僕の性格的なところで、つっこんで行き過ぎることができないというか、つめきれないというか、次に行きたくなっちゃうところがあるので、ただそこは、いまだに全ての人が抱えてるジレンマなんじゃないですかね。特に最近の人が、何かを規定しなきゃいけない、線を引かなきゃ建築にならないけど、その線を決めたくないみたいな問題を抱えているように思うんですよね。学生さんの設計を見ていると、建築をつくりたくないけどつくらなきゃいけないという葛藤の末にわけのわからないものになってしまっているというのが多くて、すごくそれは共感するんですよね。僕らの時代はそういうよくわからない狭間に生きていて、この線を決めたことが罪悪でもあるんだけど、でも決めざるを得ないみたいな。このときは僕自身が鉛筆で、トレペを何枚も重ねて鉛筆で書いて、それをCADに入力するみたいなことをやっていたんですけど、かなり身体的にそれを痛感しましたね。

芦澤 : 今はだいぶ変わってきましたか?

藤本 : 幸いスタッフが増えてくると、僕やらなくてもいいじゃないですか。そしたら、そのジレンマがなくなるんですよね。なんか案が出てきたと。これはCaveですよね(笑)。なんだろうこれ、って言う感じで、その中に入っていく。そういう意味で他者性みたいなものがもてるようになると、より自由に、「この線を、俺は引いていいのか!?」みたいなことを言わなくても「なんかこれ出てきた?これ3つ出てきたの?これおもしろいじゃない」みたいな、安易でポジティブになれるというか。

芦澤 : なるほど。

藤本 : だけど根っこではそのジレンマは、無視できないと思っていますけどね。ただあまりこう、思春期に悩みすぎてぐれちゃったみたいになってもしょうがないじゃないですか。だからそこはちょっと飛ばして、まずはここまでいったらOKという風に捉えていくメンタリティは、徐々に獲得していってるのだと思います。

芦澤 : えらいですね(笑)。

藤本 : 生きるための知恵というか(笑)。

芦澤 : スタッフに同時に何案か出させて、判断しているのですか?

藤本 : 優秀なスタッフがいれば、それができるんですけどね(笑)。僕はスタッフとディスカッションするのは好きなんだけど、ふと気づくと自分しかしゃべってないみたいなことが結構あって、だけどそれでも、自分がしゃべっているときって、自分が知っていることだけをしゃべっているんじゃなくて、最初にしゃべり始めるときは自分が考えていたことをしゃべるんだけど、だんだんその場でアドリブになってくるじゃないですか。そうすると、一人で黙っていたときには絶対に考えないようなことを考え始めるし、そこで「でもそれってどうなんですか?」と言われるとまた言わないといけないから、自分の中で、新しいことを発見できる。もちろんそれがインタラクティブなディスカッションになってくると、よりエキサイティングだと思います。とはいえ、例えば平田晃久くんみたいな人がスタッフにいると、かなり濃密でインタラクティブなディスカッションができると思うんですけど、なかなかそうもいかないじゃないですか。ああいう稀有な人はなかなかいないですから。ただそこで不満を持ってもしょうがないから、彼らの前で自分がしゃべって、「だったらこうじゃないの?」って自分で話をドライブさせていくという意味では、スタッフとも、ある種のインタラクションが必要な気はします。やっぱり人形が置いてあってもだめだと思うんですよね。

芦澤 : そりゃそうですよね(笑)。

藤本 : うなずいているとか、うなずいていないとか、何がしかの何かが欲しいですよね。

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