会場2:僕がはじめて青木さんの建物をみたのが六本木のルイヴィトンでした。その時に美しいなと思ったと同時に、ものすごく神経質な、完璧な状態にある種の窮屈さを感じたんです。先ほどのお話でのスポーツセンターも、ある意味でものすごく神経質な建物だと思うんですけど、その神経質さが心地よい自由さみたいなのに繋がっているような気がしていたんです。今日見せていただいた中であれが一番心を惹かれたんですけど、その辺のことをもう少しお話いただけますか。

青木 : 僕はすっごいディテールに神経質だと思います。でも、もし建築とかデザインやる人だったら、本当はみんなそうでないといけないなぁと思っていて、それが一番ベースにあるものなんじゃないかと思うのね。つまり、これと、これと、これって違うわけでしょ。この違いがはっきりと認識できるということは、例えば絵描きさんだったら緑の中に色んな緑があって、その緑の差が分かるはずだし、それの組合せ方で感情が変わるってことは知っているでしょ。それと同じで、建築だとそのものの素材とかその大きさとかプロポーションとか、その組合せの仕方でどういうふうに感情が変わるかってことに神経質であっていいし、それが必要だと思うのね。神経質であった上で何を目指すかってことがもうひとつ重要で、神経質さを伝えるんじゃなくて、おっしゃってくれたようにラフな感じをつくるのがやりたいですよね。口で言うのは簡単だけど難しくて大変なんですけどね。心強い感想をありがとうございます。

会場2:突き詰めていくと人にとって窮屈なものになってしまうんじゃないかという疑問が、今日あのプロジェクトを見せていただいて、そうじゃない方法があるんだってことが目から鱗でした。

青木 : カオリスマキという映画監督がいるけど、彼の映画は間延びしているシーンがすごく多くて、でもその間がすごく重要なのね。その間は、きっちりやっていくと多分切り詰められるし、神経質にやるとカチッとなる。カオリスマキはすごく神経質に間をつくるっていうんですね。日本だと関西の監督で山下監督っているけど、すごいいいなぁと思う。

平沼 : ありがとうございます。最後の質問、毎回ゲストの方にお聞きしているのですが、青木さんがとらえる「建築家」ってどんな職業ですか。

青木 : 自分がいる前よりも何かいいものをつくるってことですかね。つくれたかどうかは自分が決めることじゃないけど、今ある状況よりいいものをつくろうという。この場合は物理的な空間という意味ですけど、それをつくるのが建築家なんですかね。

芦澤 : 3.11がありましたよね。僕なんかは日本の社会構造そのものに不安に感じますし、これを再構築しないとまずいと。それで僕ら建築家にどういう役割があるのかなと考えさせられるんですけれど、青木さんはどの様にお考えでしょうか?

青木 : 根本的なところは全然変わってなくて、今日、お話できたような意味で、建築って決して見てくれの問題じゃなくて、人間がそこで生活する器、空間をつくっているわけですよね。たまたま、今まであった器が一番いいんじゃなくて、そこにいる人がいきいきできるというか、何かつくってみようと思うとか、何か新しいこと始めてみようと思うとかっていうことが、押し付けじゃなく生まれてくる空間をつくっていかなくちゃいけない。それは今までの建築、あるいは非常に商業化されたものは反対の方向に行っていたと思うのね。別に建築家じゃなくてもいいんだけど、やっぱり、もっとベーシックなことを建築家がつくっていく必要があるなぁと思いました。益々それが、意を強くしているという感じですね。

芦澤 : ありがとうございます。

平沼 : 青木さん、すごく残念なんですけど、舞台わきから急げと言われていて…8時40分を過ぎました。きっと、あとひとつ、ご質問をすれば最終新幹線に乗り遅れてしまいます。
ほんとに残念ですが、今日は貴重なお時間をいただいて、本当にありがとうございました。

芦澤 : どうもありがとうございました。面白かったです。

青木 : きょうは楽しかったです。みなさん、ありがとうございました。

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