坂 :では、ここからは初期の作品からどんな風に段々といろんな事をし始めたか、ということをお見せしたいと思います。少し紹介にもありましたが、僕は高校をでてすぐアメリカに渡り、最終的にはクーパー・ユニオンというNYの学校を卒業して、日本に帰ってきてすぐに、経験もないのに建築事務所を始めました。1980年代のことでした。実務経験は全くない中で、最初にしたのがこの写真にある、展覧会の会場の企画でした。僕が大好きなフィンランドの建築家、アルヴァ・アアルトの建築の家具展のための会場設計です。アアルトの建築が好きなので、何度もフィンランドに行って、アアルトらしい会場設計をしたいと思ったのですが、アアルトみたいにふんだんに木を使うようなお金もなかったし、仮設の展覧会で木を使って、終わったら捨ててしまうのはもったいないなーと思ったものですから、もっと簡単な外来材料を使おうと思いました。
皆さんもう使わなくなったと思うのですが、昔はトレペと言って、トレーシングペーパーの上に絵を描いたりするものをよく使用していたのですが、そのトレペの芯には、紙管を使っています。それからFAX、最近は普通紙になりましたが、以前のファックス紙はロール状になっていて、その芯も紙管で作られています。ものを捨てるのはどうも苦手なので、事務所にいつもそれを溜めていたんですね。それを見た時にこれを木の代わりに使おうと思って、小さい紙管で、アアルトがヴィープリの図書館で作ったような、木で作った天井を模して、それから少し大きな紙管で間仕切りのような壁を作りました。それが最初に紙管を使用したときで、1986年のことでした。この時に使ってみたら強度が思った以上にあったので、それから色々な構造実験を始めて、建築の構造体に使おうという開発がこの頃から始まりました。
 あともう一つ、ローコストの住宅の開発をしていました。これはプレハブ住宅のシステムで、家具の家と呼んでいます。地震があると、家は崩れますが、家具は崩れた事がないんです。人の上に家具がのしかかって、怪我したりする訳ですが、家具は非常に強く出来ている。その家具自体の強度実験もしました。この写真の建物は平屋ですが、垂直の構造、つまり柱や壁が一つもないんです。洋服ダンスや本棚などをモジュール化し、工場で作ってきた、断熱材も全部中に入っていて、塗装も終わったタンスなどを、鉛直加重、それから横から受ける構造体として、ボルトで床と基礎とそれから水平方向に止めます。大体一日ぐらいですべての構造家具が設置し終わって、あと屋根をのせるだけです。この上にまた家具をのせれば2階建てができるわけですが。この写真に写っている本棚などの家具、全てが構造体で、それ以外に壁も柱も一つもない、そういう開発です。それが最近アメリカでも始まりまして、構造や家具を簡単にする為に、25mmのベニヤをフィンガージョイントで止めて、それで箱を作って上に木の梁をのせて家具を作っています。ですから家具自体をどんどん安くすることによって、量産化できるような体制にして、来年無印良品から「無地の家」として登場する予定です。そういう風に、洋服ダンスやストレージ、ものを入れるものを構造体に使う。
更に発展したものがノマディック美術館と呼んでいる、カナダ人の写真家,グレゴリー・コルベールの個展をやる移動式美術館です。最初にニューヨークで出来たのですが、大体3,000平米ぐらいある移動式美術館です。移動式って何が難しいかというと、簡単に出来て簡単に壊せて、それから安く移動できなきゃいけないんです。大きな建物をどうやって移動しようかって考えたときに、コンテナのアイデアが浮かんだんです。なんでコンテナかというと、ご存知のようにコンテナって世界中何処でもあります。つまり世界のスタンダード、標準品なわけだから、世界どこでも同じコンテナが手に入るので、コンテナ自体を輸送するのではなくて、何も運ばずに行った場所でコンテナを借りて建物を作ろうと。
ですから、このコンンテナは、ニューヨークの対岸のニュージャージーのコンテナヤードから借りてきて、3ヶ月の展覧会の会期が終わったら、またコンテナヤードに元に戻します。その次にロサンゼルス行ったのですが、そのときもコンテナは持って行かずに、屋根の材料だけ持って行きました。このようにした、コンテナを使う事によって輸送をしなくてもいい移動可能な美術館が出来上がったのです。さらに、この美術館が建設されたのは、非常に古い木造のピア、つまり桟橋で。タイタニック号がここに接岸される予定だったくらい昔からある古い木造のピアだったので、建物を軽くする必要がありました。そこで、この様にコンテナを市松模様に配置することでコンテナの数を半分にして、加重を減らしました。コンテナの角には既存のジョイントかついているのですが、コンテナを角にのせていくことで、そのジョイントをそのまま使って固定しています。屋根は直径75cm、長さ10m、肉厚15mmの紙管で出来ています。当然中は空洞です。そういう屋根を支えています。この写真はロサンゼルスです。ご覧のようにコンテナの色が違うのは、ここで借りたコンテナだからです。建設場所は、ニューヨークでは全長200mのピアでしたが、ロサンゼルスでは小さい駐車場だったので、100mのギャラリーを2つ平行に並べて、更に間に屋根を掛けて、ニューヨークにはなかったシアタースペースを真ん中に増設しています。その後、この移動式美術館はお台場に行きました。 
次に、右側の写真は初期に作ったカーテンウォールの家という住宅で、左側は僕が大好きなミースファンデルローエのファンズワース邸です。このファンズワース邸というのは、西洋の建築の歴史において革命的な住宅で、住宅が全部透明になっています。でもよく考えると、我々日本人にとってみれば、住宅が透明になるというのは当たり前の事だと思うのです。例えば、伝統的な家ではふすまや引き戸を開けると、住宅は透明になる訳です。ただ、ミースの透明性と日本の伝統的な透明性の違いは何かと言うと、ミースの場合ご存知のように扉が1カ所だけあって、あとはほとんどガラス、ほとんどフィックスなんですね。ですから、視覚的には透明なのですが、肉体的に空間が透明なわけではない。それに対して日本の住宅は、ふすまを全部開ければ、視覚的にも、肉体的にも空間が透明になる。それが大きな違いだと思うんです。カーテンウォールの家は、元々この場所に伝統的な古い日本家屋で、そういう透明性や開放性を楽しんでいたご夫婦のために作った3階建ての本当に小さな鉄骨のお家で、テラスと家の間は全部ガラスの引き戸になっています。屋根のエッジに沿って、遮光のため、それからプライバシーを守る為に防水性の塩ビのカーテンがぶら下がっていて、風が吹けば建物の範囲が道路まで広がります。ご存知のように、今建物でつかっているカーテンウォールの原型はミースが作りました。だから、ミースのカーテンウォールを使わずに普通のカーテンを使ってデザインしたので、カーテンウォールの家と呼んでいます。

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