平沼:坂さんから、スライドの説明は全部で1時間くらいかな、とお聞きしていたのですが、スライドのタイムキーパーがちょうど1時間でびっくりしました。
年に何回くらいレクチャーをされていますか?

坂 :いや、それでも月2回くらいですかね。

平沼:月2回ぐらいですか。

坂 :でも、日本ではあまりないですけど。

平沼:なるほど、海外ばかりなのですね。芦澤さん、まずはご質問どうですか?

芦澤:すみません、あのー、途中でなかなか質問を挟めるタイミングがなかったので、いくつかお聞かせいただききたいのですが。今、坂さんがおっしゃったように、いわゆるモニュメンタルな建築のお仕事と、災害の支援をしていくお仕事の、大きく分けると2つのお立場を見ることが出来るのですが、その2つの連携をするのか、もしくは一切関係なくやるのか、そのあたりのスタンスをお聞かせ頂けますか?

坂 :もともとは普段の建築家としての仕事と、ボランティアの仕事を両立させていこうと考えていました。でも、特権階級というと、さっき言ったように宗教団体も特権階級なんですよね、ある意味では。だけど最後に説明したクライストチャーチをみてみると、これはもう特権階級のための仕事とも言えず、モニュメンタルなものなのです。元々この教会は、ただ教会として使うだけではなく、市民の憩いの場として映画を上映したりコンサートをやったり、それから町の観光資源でもあったのです。ニュージーランドの被害というのは、日本の東北の震災と比べたら、比べものにならないくらい小さいのですが、ところがですね、GDP比で比べたパーセンテージからいえば、実はニュージーランドは日本のダメージよりも大きいのです。だから、被害の状況は亡くなった人の数などだけでは想定できないぐらいに大変なことになっています。このニュージーランドの町も、地震で完全に崩れたのは、CTVという日本人がたくさん亡くなった建物の数軒だけなのですが、その他の建物は外見的にはほとんど壊れてないですが、構造的なダメージがあって、今それをみんなで取り壊しているのです。町中の80%の建物が結局使えなくて、今自分たちの手で、自分たちのつくった町を壊している、非常に悲しい最悪の状況です。その時に、この教会の関係者の人は、教会を復興のシンボルにしたいという気持ちもあり、それでボランティアの仕事を受けました。ですから、だんだんと特権階級とそうではない仕事の差が、自分の中ではなくなってきているのだと思います。

芦澤:では、今後はそのように融合されたものに、どんどんトライされていくということですね。

坂 :まあ、でも、東北でやったものは町のためですけどね。普通の仮設住宅は、政府からの圧力で期間とかお金とか、ものすごい制約の中で作らなくてはいけません。だけど、政府はその制約を一切変えようとしない。あるいは、避難所の状況だって一切良くしようとしません。だから、普通の仮設住宅よりも僕らの作ったものの方が当然良くなって、その差が出来てしまう。でも政府に対しての一つのメッセージとしてね、こんなんじゃダメだって、もっとアップグレードしなきゃだめだと訴えるためにも、差がついてもいいから良いものをつくろうと思ってつくりました。あれは。

平沼:僕はちょっと質問を変えてお聞かせください。いくつか作品を見せてもらってやっぱり一番気になるのが坂建築のつくり方です。
坂さんが建築の計画をしていく際に、どんなアプローチのされ方をされているのかが気になっています。構造のことも、すごく良くわかっておられるし、先ほどご紹介くださったメスのように、プログラムまでも要望されたこと以外に組み立てられる。どんなふうに建築を考えていくのかというところを聞きたいなと思っています。まあ、一言でお話しいただくのは、なかなか難しいとは思うのですが。

坂 :設計をするときのプロセスですよね?

平沼:はい。

坂 :まあ、ご覧になったらわかるように、みんな系統立ててあって、突然急に新しいものを思いつくわけではなくて、少しずつやったものが、次に発展していっているわけですから、やっぱり、突然ひらめくわけではもちろんないのですね。だから、今までやってきたテーマ、それは構造的なテーマだったり、材料のテーマだったり、それプラス、コンテクストをいかに活かしていくかということをすごく大切に考えています。それからもうひとつは、施主からの要望や、あるいは土地の条件や、予算のこともありますけど、何かネガティブな条件の中で、あるいは自分で作り出してそれをデザインのテーマとします。例えば施主としては問題だと思っていなかった8つの店舗を並べるということ自体、僕としては問題だと思ったり、そういう風にあえて問題を見つけ出すことによって、いかにデザインで解決するかということをいつも考えて、デザインのアプローチとしています。

平沼:なるほど。ちょっとこの質問を挟ませてほしいのですが、もともと、高校を卒業されてからクーパー・ユニオンに行かれたんですよね。なぜ建築をなさろうと思ったのですか?

坂 :あの、小学生の時かな。家の増改築を見て大工にあこがれていて、大工になりたかったんです。当然小さな頃は、建築家という職業を知りませんから、大工がみんな建築をつくるものだと思っていました。中学に入学すると、技術課程の時間で簡単な住宅の設計をやる授業があって、それがすごく得意で楽しくて。夏休みに自分の将来の家という設計の宿題があったのですが、それがとても好きになり建築の道にいこうと思い始めました。


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