藤本:どこの国でレクチュア行っても、最初に見せる絵があるんですけど、そこにはネイチャーとアーキテクチャーっていう言葉と、ネイチャーと東京っていう言葉があります。特に海外でのレクチュアの時は多少わかりやすくしてあげないと伝わらないなと思うので、対極語を出してその間をつなげていったり、混ぜ合わせたり、新しい環境を見つけたりするっていう、そこにこそ新しい何かがあるんだよみたいな、言い方をしています。
この絵はまず、自分のバックグラウンドを説明しています。北海道の生まれなんですけど、左のネイチャーのように実際こういう自然の中で、遊んで過ごしていて、今は東京という場所に来て、言ってみれば対極ですよね。だけど自分にとってはこの2つの、全く異なるものが実は同じように共通する価値であって、空間の原点みたいなものです。見かけは全然違うんですけど、森の中はいろいろ、比較的小さいものがごしゃごしゃとして、自分が結構守られているんだけど閉ざされていない、自由に遊べるような、東京も特にこういう古くからあるような商店街みたいなところでは、こういう小さなしょうもない人工物がたくさん集まって、なんとも言えない囲まれ感というか、守られている感じがあると思うんですよね。電線とかも。それでいながらその中を自由に歩き回れる自由さがある。

平沼:うんうん。

藤本:空間の成り立ち、間の質が実はとても似ているんじゃないかなと。人工的なものとか自然的なものっていう分け方を一気に飛び越えて、その背後にある空間の作られ方とか本質があるんじゃないかと、だから自分はこの自然と人工物っていう垣根を越えながら、あるいはその間をつなぎながら、何かをつくっていくんだよ、みたいなことを説明しているんですよね。

平沼:うん。なるほど。

芦澤:うんうん。

藤本:そういう話をこの前うちの親にしたら、そんなに森の中で遊んでたっけ? 結構家の中で遊んでいたような気がするんだけど、と言われまして・・・(笑)

平沼:あ、そういうオチ?(笑)

藤本:うんうん、オチ。常に自分の歴史をねつ造しているのかもしれないですけども。

芦澤:ははは。(笑)

藤本:でも北海道出身で、そういう話がしやすいんですよね。実際の体験に基づいてるし、海外に行っても北海道っていう名前はわりとこのネイチャーと結びついてるみたいで、伝わりやすいですね。

芦澤:うん。

平沼:何歳まで北海道ですか?

藤本:大学が東京ですので、高校生までの18歳ですね。でも高校生になっても結構裏山みたいなところで遊んでいましたね。勉強をしながらですけど、わりと庭で遊んでいましたね。

平沼:うん。…ちょっとこれ話してくださいよ。最年少でつくられたサーペンタイン。

藤本:そうなんですよね。去年6月頃の頭にオープンして、夏期間にあったものです。最初、サーペンタインから手紙が来たんですよ。これはびっくりしました。

平沼:いきなり来るんですね?

藤本:はい。いきなりだったので、まさかパヴィリオンの話でもないだろうと思って、何が書いてあるんだろうと読んでみると、とても曖昧な書き方で、「もしかしたらご存知かもしれませんが、我々は毎年パヴィリオンのシリーズをつくっておりまして…」いやもちろん知ってるよって、(笑)
…じゃあって言ってお願いしたいって一言も書いてないんですよ。「つきましては、このパヴィリオンの未来について、一緒に話がしたい」とか書いてあるんですよね。

平沼:曖昧だなぁ。

藤本:そうなんです。曖昧な感じできたので、これは何だろうこれはと。それで、「近々ロンドンに来ていただければと思うんですけど…」みたいなのが書いてあったので、行ったらいわゆる面接みたいになっちゃうのかなとか、それとも単純に、次誰がいい?みたいな相談かなとかって、僕になんで相談するんだって話とかね。全然わからなかったんですよ。だけど、ロンドンに来いって書いてあるから、とにかく行かなきゃと思って、11月の半ばぐらいだったんですけど、スケジュールみたら2日間だけ空いてたんですよ。だから深夜便に乗って、朝着いて、そしてその日の夜の便で帰ってきたら、なんとか行けるなと思ってドキドキしながら行ったんです。

平沼:お一人だったんですか?

藤本:はい、一人で現地に行くと、そのジュリアさんとハンスウルリッヒさんっていう2人のダイレクターのうちのジュリアさんがいて、「ナイストゥミーチュー」みたいな感じで迎えられて、打ち合わせスペースの中に入るとA4の書類が机の上に置かれていて、「パヴィリオンの主な機能はカフェで…、」とかっていきなり具体的な話をされたんですよ。
え!?もしかして僕がやるっていうことですか?って聞くと、

平沼:もう決まり。

藤本:そう、「もちろんよー!」みたいな、テンション高いジュリアさんが言ってきて。それで、あ、やるのかー、と思って。

芦澤:ふふふ。

平沼:それで決まったんだ。

藤本:だって。2002年にあの伊東さんがしたときに、日本でも相当大きくパブリッシュされて、これはまさに、建築家にとってはいつかはやりたいよなっていうプロジェクトでしたからね。伊東さんあとは、もちろん妹島さんだったり、ゲーリーがやったので、どんどん格が上がってくみたいな感じがあったので、10年、20年後ぐらいにはやりたいなとか勝手に思っていて、でもまだ先だろうとか勝手に思っていたから、どういうものをつくるかなんて当然考えてなくて…(笑)

平沼:まさかね。

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