芦澤:「トラフ」という事務所名は、どういう理由でつけられたのですか。

鈴野:実は最初に携わったクラスカという作品の時に単純な由来があります。約10年前に僕の後輩がクラスカと言うホテルに働いていて、客室リノベーションの担当をしていて、僕たちに頼んでくれました。その頃の僕は、独立している訳でもなくて、まだ会社に所属していました。その時に、禿に声をかけて手伝ってもらう感じで始まったので、名前も付けていなかったです。でもフリーランスだとちょっとということになり、それで付けてくれと言われて、建築をベースにやっているという事もあるので、「建築設計事務所」というのを付けようと思って考えたのです。でも、例えば「鈴野浩一建築設計事務所」にすると堅いなと。トラス構造が好きでその名前を思い出したのですが、トラスだとまだ堅いので、「ス」をもっと柔らかい「フ」に変えて「トラフ」と決まりました。意味が無いぐらいのところで、音で決めたような感じです。(笑)

平沼:(笑)そもそもどんな少年期でしたか。

鈴野:図画工作が好きで、恥ずかしがり屋で、こんなところで喋る事は、全く考えられないような感じです。箱で、ロボットを作ったり家をつくったりとか、そういうことが好きでしたね。何を考えているのか分からないような感じで、早生まれだったので、一番小さい子でした。

平沼:芦澤さんとは真逆ですねぇ。(笑)

芦澤・鈴野:(大笑)

平沼:そんな少年時代の子が、どうして建築の道を選んだのですか。

鈴野:絵を描く事とか工作が好きだったんですけど勉強は全然しなくて、小学校の高学年くらいの時に、勉強する癖をつけるために家庭教師を親に付けられました。実家が横浜国立大学の近くだったんですけど、その家庭教師がそこの建築学生だったんです。模型を持って来てくれたりして、親も普通のサラリーマンなので、そういう職業がある事自体がわからない中、その方の影響を受け、単純に大学まで図画工作ができるんだ!と思っていました。(笑) 夏休みの図画工作の宿題で、スチレンボードを買って、切って、その家庭教師の方に見てもらいながら、自分の実家を瓦まで表現して模型をつくったことがあったのです。結局、勉強は全くしなかったです。何か目標が出来ると、勉強する意味や目的が少しずつついてきて、建築を目指すようにはなってきました。

平沼:学部を出られてから、設計事務所に勤められましたか?

鈴野:東京理科大学を出てから、横浜国立大学の大学院で都市計画までをやりました。建築で意匠系になったのですが、建築で考えたものが良い物に出来たとしても、都市を見ると、それが建っている訳ではない。そういう風に建築を考えているような文章を見ても、それが全然表れて来ない。都市を変えて、都市が面白くなる事をしたいのに、なんでそんな閉じた世界なのかなと思い、都市計画に行けば、少しは客観的に見えるのかなと思った事がきっかけです。

平沼:その頃にはもう、山本理顕さんがおられましたか?

鈴野:おられました。でも僕は、横浜国立大学の都市計画の先生で、小林重敬さんという先生の研究室にいました。

芦澤:都市的な視点というのは今でも活かされていますか?

鈴野:その時は研究室に入っても意匠系が好きで、意匠の方の研究室にも出入りしながらしていました。都市計画は、日本の都市計画でも、政治的とか法を創るみたいなところなので、これでもないなと思って、どうしようか悩んでいる時期でしたね。都市計画に行ったからといって、この道を変えられる訳じゃない。今、時代的に違うじゃないですか、でも建築は閉じている。そういう、ジレンマをすごく感じていました。都市を楽しくしていきたいからしているのに、どうしたら建築がもっと開かれることができ、良くなることがきるかなというのを、当時から考えていました。

平沼:なるほど。そんな鈴野さんがどうやって作品をつくられているのか、お話しをいただいてもいいですか。

鈴野:はい。まずはこの写真は、今の事務所の風景です。目黒地区にある倉庫・工場みたいな所にあります。細長い場所で大きいテーブルをシェアして、空いている所を打ち合わせテーブルにしながら、皆で囲んで仕事するような感じです。スタッフが5人で、あと僕と禿がいます。

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