平沼:早速に原先生、簡単に自己紹介して頂いてもよろしいものですか。

原 :はい。それじゃあ自己紹介をさせていただきますが、1936年生まれとご紹介いただきましたけど、ええっと、その通りですね。

会場:(笑)

原 :生い立ちは、小学校の3年の時に第二次世界大戦を迎えます。その時までは川崎に住んでおり、空襲があまりにもひどくなりましたので、もう逃げなくちゃいけないんじゃないかという事を両親が決断して、2年の終わりに、長野県・飯田市に逃げていきました。戦争で何を記憶するかっていうと、その空襲の事もそうですけれども、一番大変だったのは、その後の飢えの期間。終戦後2〜3年はほんとに食べるものがない。自分で探さなくちゃいけない。そしてみんな疎開してきた人たちが長野へきても、普通に食べるものは山の中にも生えてないような状態の中で、草一本くらい。本当にどうやって生きていたかというとですね、一番の食料源が大体、蛙でありまして…。

平沼、芦澤:(笑)

原 :ずっと僕の事務所は渋谷にあるのですが、隣が古い家で、そこに池があってね、蛙がすごくいっぱいいるんです。

平沼:今もですか。

原 :今も。だから、まぁこれで飢え死にはしないなという安心感。

平沼、芦澤:(笑)

原 :自分でなんとかしなくちゃならない。
でも小学生だから獲れるものは限られています。だからそういうものを食べて育ったんですね。長野は私のいろんな基礎になっていて、風景と、自然とか、感覚とかね。そういう感性の、基礎になっているのです。
ところで、こんな話しをしていてもいいですか?(笑) 時間もものすごく貴重なのに、こんな話し続けて?

平沼:はい。もう少し少年時代の話をお聞かせください。

原 :少年時代ね。いや、そういや、最近の話ね。

平沼:いやっ…、(笑)

会場:(笑)

原 :あなたの作品とかはスライドに入っていないの?活躍されているじゃない。

平沼:あっ、いやっ…、(笑)

会場:爆笑(笑)

芦澤:長野にはいつまでいらっしゃったのですか?

原 :長野は高校までおりましたので、17、8歳くらいまではいたわけです。終戦は9歳かな?

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