芦澤:原先生は、言葉を先に考えられるのか、作品を考えながらそういうコンセプトを考えられるのか、それとも初めに反射性住居っていう概念があって、それを建築していくのでしょうか。

原 :やっているうちに自分のやっている事が何かって、それを明確にしていく時に言葉を使うんじゃないかな。孔をあける建築っていう概念(「有孔体」)はずっと続いているし、後でちょっとお話するような「様相」っていう概念は、普段から使っているというか、思っているわけですよ。その言葉がどういう風に育っていくかは、非常に重要だと思っています。…でもあんまり僕は信用していないんだよね。

芦澤:言葉をですか?

原 :本当を言えば、言葉より数式の方が信用している。

平沼:ほう。やはり。

原 :うん。言葉でだらだら書いているよりも、数式で表現する方がいい。

芦澤:その数式と比べて、言葉の方が曖昧さをもっているんですかね。

原 :うん。持っている。数式と言葉は対称の位置関係にあるわけですよ。私はその時大変悲しかった。数式書けって言ったら難しいわけで、試みても表現できない。だけど一般に数式で表現できるようなものを言葉で表現してきたために、すごく冗長に書いてさ、いたずらに複雑にしているっていう側面もある。結局、やっぱり建築家だからさ、絵で描く。

芦澤:絵で描く。

原 :絵で情景図式とかね。僕らの頭の中にあるから。頭の中に観念とか言葉とか記号が浮かぶ、それだから今母親の顔を思い出せるんだよね。

芦澤:はい。

原 :今やっているコンピュータは、こういった意識の働きを説明しようとしている。文明っていうのは、まずは自分の身体の延長として車を作ったり、飛行機を作ったりなんかしたわけじゃないですか。自分たちの意識がどうなるのか、どうなっているのかっていうものを、はっきりさせる段階としてあるわけです。テレビとか含めてね。テレビを見ていると、くだらないって思うこととかをやっているわけですよ。しかしそれがね、私達の頭の中の、意識の在り方なんですよね。

平沼:なるほど。

原 :そういう時代なんでしょうね。要するに、身体の延長から意識の延長に繋がっていくっていうか。結局は最後には延長なんですね。
 次は「折本邸」です。2000年くらいに建てました。内部空間に曲面を使っているんだけど。中庭を持っている住宅ですね。

芦澤:自邸から考えられている事は、この時にはずいぶん変わっていらっしゃいますか?

原 :ある意味では。集落調査をやってから、だいたい人間ってのはどんな環境でも住めるっていう感じがするんですよ。今回紹介している住宅も、なんとなく40年くらい住んでくれたんだし。

芦澤:ご自邸の時は、住居に都市を埋蔵するっていう事を原先生がおっしゃっていらっしゃいましたよね。

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