藤村:今ゼネコンに就職すると、恐らく皆さんぐらいの若い世代の人たちはこの軸線のエリアに赴任することになると思うんですけども、日本の建設業は今、1000億のプロジェクトはほとんどなくなってきていますよね。今日本は日本の列島改造で培ったスキルをアジアの列島改造に活かしていくという、そういう時代になっている。
かつて松岡洋右という外務大臣が「帝国の生命線満蒙にあり」と言っていた1930年代には、この線は日本から満州に向かって引かれていた訳ですよね。満州に日本の土木とか都市計画とか建築の技術者達が渡って、そこで色々プロジェクトをやって、その人達が戦後引き上げてきて、神戸の原口市長が神戸市の都市改造をやったりしたみたいに日本の列島改造に従事した訳です。そこで日本の建築業界が学んだ事が、今度はこっちの方角にいこうとしている。その当時の「生命線」っていうのは、1923年の関東大震災の後に世界恐慌があって、東北に向かって引かれた線なんですけども、2011年の東日本大震災の後、今度は90度反転して南西に引かれて行く。歴史のなかで構造的に反復していて、満州の時も南満州鉄道株式会社という、鉄道中心にしたインフラ輸出というのがあったんですが、今も全く同じように新幹線を軸にしたインフラ輸出みたいな事が行われていて、そういう鉄道を軸にしたインフラ輸出みたいなのが日本一種の十八番なんだということがよくわかりますね。
これは思想とか文学の想像力のような、抽象的で超越的な線に見えるんですが、さっきの市民参加で住民の皆さんが色々言っているところに軸線をヒュッと引いていく感じにも似ているんです。これまでの活動を通じて、空気を読んで線を見いだしていくのは建築の職能の核心だなと思うようになりました。世論とか社会のムードとか、そういう物が混沌としてあるんですけども、その中にヒューと線を引いて、それが場合によっては社会をリードする事もあるし、自分も巻き込まれちゃう事もあるし、非常に危険なんですがそういうギリギリなところで何か線を引いていくというイメージを持っていて、これをアーキテクトのイメージとしてお示しして終わりにしたいなと思っております。

芦澤:今のその線を引いて、それで藤村さんは何をするんですか? 建築なのか都市なのか、建築家として。イメージは分かりますけどね、あっちに向かっているという軸線は。向こうにいったら向こうにいったで、また違う場所性と、社会性と、政治性だとか、違うムーブメントがありますよね。

藤村:この軸線は一見建築に関係ないようでいて、例えば伊東豊雄さんが今一番仕事している台湾とシンガポールの方角でもあります。自分はまだ国内でプロジェクトをやっているんですけども、行く行く拡大していくとそういう方向に巻き込まれていく可能性もあるし、そういうある種の予感を見えるようにしたものなんですね。社会が向かっている方角っていうのはこういう事なんだと批評っぽくも言えるのですが、それを言っているだけでなくて、自覚して自分はどう行動するのか、そこから考えなくてはいけないんですが、現代に生きるってのはそういう事なのかなと思っていて。時代を映す線みたいなのを見い出したいと思うんです。

平沼:藤村さん、建築好きですか?

藤村:嫌いに見えますか(笑)? 僕の中で建築ってこういうイメージなんですよ。

平沼:なぜ続けられているのかなぁっていう。

藤村:建築には人や社会を動かす力があって、それに惹かれている所はあるんですね。

平沼:建築空間が好きな訳じゃなくて、社会を動かせる力を持っているから好きっていう事ですか?

藤村:究極的にはそういう事じゃないでしょうか?

平沼:なるほど。

藤村:つまり動員、モビライゼーションっていう言葉があるんですけれども、これは建築の本質だと思います。戦争中はもの凄く危険な言葉で、総動員とか、国家総動員法とかですね。トータルモビライゼーションとかゼネラルモビライゼーションというのは、究極の権力の形ですけれども、それは究極の建築でもあると思うんですよ。人がこっちからこっちへ動く、建築はそういう力を働かせてしまう。アーキテクチャという概念は本来そういう事なんですよね。

それに対してアーキテクトは例えば、社会がある方向にぐっと向かっていく時に、その線をどう引き直すのかが問われます。非常に難しい問題ですよね。コルビュジエだって1930年代はナチスドイツだとかイタリアのファシズムだとかに反るようなポーズをとりながら、色んな提案をしていく訳で、いつの時代も建築家はそういう緊張関係の中で、建築をやっているんではないかと。
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