芦澤:それは高校時代くらいですか?

内藤:大学に入ったくらいですね。

平沼:そんな内藤先生は、建築学科ではどんな学生でしたか?

内藤:えーっとね、たぶん皆さんと違うのは、年配の方もいらっしゃっていますが、僕らの頃は大学行くと、門の所に椅子と机が山積みになっていてロックアウトされているんですよ。しょうがねぇなっと思って、それで六本木の坂倉事務所(坂倉準三さんの事務所)にアルバイトに行って、模型を作っていたりって感じでしたね。変なもんですよね。私学で授業料払っているのに、授業がないという。課題なんかも提出するんだけど、先生が逃げちゃっていなくて、エスキースなんてなくて、ただ出すだけですよ。 先生に見てもらった記憶がないですね。

芦澤:講評会はありましたか?

内藤:講評だけは、やりましたね。それもいいかげんなものだった。なので、はっきり言って大学から教わったって事はほとんどない。私も大学の教壇に立って授業やるようになったけど、朝の授業なのに満員なんだよね。お前らおかしいんじゃねぇか、って言いましたけど。

平沼:ははははは。

芦澤:ははは。みんなおかしいと。

内藤:やっぱり建築って、もともと自分で情報をつかんでくるような、実学に近いので。大学が何かをくれるっていうのは、そもそも誤解なんじゃないかなと僕は思っていますけど。

平沼:内藤先生の教え子だった人たちを、たくさん知っているんですけど、関野らんさんとか、すごく良い先生だったって感謝をしていたことを聞いたことがあって。

内藤:らんちゃん、そうですか。いやぁ、今度会ったらありがとうって言わないと。
基本的には、僕はこう考えるけど、君たちはどう考えるか、っていうことしか言わなかったので。 当人がどう考えるか、っていうことを中心に教えた。こうじゃなきゃ駄目だみたいなことは、ほとんど言わなかったと思う。

芦澤:内藤さんは、建築家になろうと確信されたのはいつ頃なんでしょうか?

内藤:だいぶ経ってからですよ。ほんとに遅いですよね。37歳くらい。

芦澤:それまでに、スペインに行かれたりされていましたよね?その時はまだ迷われていたと。

内藤:迷っていましたね。だから、明日にでも辞めるとか、来週に辞めるとか、毎週のように考えていました。

芦澤:それは、何故なんでしょう?

内藤:だって、1回しか生きられないんだから。こんなのつまらないと思ったら、辞めたほうがいいですよね。

芦澤:あぁ、なるほど。

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