平沼:小学校時代は昆虫採取で。その中学校時代はどんなことをされていましたか?

北川原:あっ、中学はね、僕走るのが早かったんですよ。それから棒高跳びが得意だった。

平沼:陸上ってことですか?

北川原:陸上。そんなにたいしたことないけどね。でも、高校1年生の時に、練習なんだけど、11秒台でした。100mね。

平沼:えー。もしかして

北川原:『足短いのにあいつは何で速いんだ』って。足を速く動かすからだ、って。(笑)

芦澤:(笑)

平沼:ははは(笑)そんな学生時代、小中高とやられていて、なぜ建築をしようと思われたんですか?

北川原:すごく話しが長くなっちゃいますね。大学もね、芸大に行く予定ではなかったので。いろいろな事情があって芸大に入ったんだけど。それが入ってみたら本当に面白くなくてね、神田の古本屋街に毎日通ったんですね。僕の親父が、文学の方をやっていたんでどんどん文学の方にのめりこんで行っちゃったの。建築より『あぁこういう文学の方が面白いな』と思っていたんですね。そのうち、僕の周りの連中からの影響もあって現代美術のマルセル・デュシャンとかね、全然知らなかったんだけど…すごいなと思って、そう言う現代美術の影響、それから哲学とか、そんなに難しい本は読んでないんだけど、ロートレアモンの詩とか、そういう方にどんどん行っちゃったの。それで、建築はもうやらないぞとか思っていたけど、大学4年生の時にね、たまたま気まぐれで、新建築が毎年やっている住宅のコンペで1等になってね。賞金も30万円かな?今いくらになっているんだろう。

芦澤:あります。あります。100万ぐらいになっているんじゃないですかね、多分。

北川原: 30万円もらってね、友達とみんなで六本木に飲みに行ったの。一晩で使っちゃって。(笑)

芦澤:(笑)

平沼:(笑)すごい!

北川原:それでね、ちょっと建築もやれるかもしれないとか思ったけど、それでもあんまり好きにならなかったのね。大学院に入った時に、ヨーロッパに旅行に行って、ストンボロー邸に行ったんですね。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインって言う哲学者のお姉さんの家です。ウィトゲンシュタインが設計して1928年ぐらいに出来たのかな。だから30何歳かの時に完成したんですが、これをウィーンで見て、感動しちゃったんです。これはすごいと思って、でもなんか、『北川原ちょっとお前、頭おかしいな』とか『こういうなんか普通の建物が何で好きなんだ』とか言われて。いやでもこれね、本当にすごいんです。皆さんの中にご覧になった方、いらっしゃると思うけど、本当に感銘を受けて。ウィトゲンシュタインは、頭のガチガチな人でね、ケンブリッジ大学でずっーと晩年は哲学を教えた人です。もともと哲学をやっていて、そして『論理哲学論考』を書いて、でもなかなか成功しなかったらしいんですが、そのあとにたまたま、この建築に携わったんですよね。ただ、間取りとか、ある程度出来ていたところへ呼ばれて、その実施図面を書いてくれと言われて、それでドアの取っ手から細かい所まで全部1mmどうするかこだわって設計して、それでその工事監理もね、ものすごいこだわりかただったらしいです。ともかく緻密に計算された建築で、これに僕は影響受けて、やっぱりせっかくだから建築をやろうかなというきっかけですね。

平沼:なるほどね。

芦澤:影響を受けられた作品としてはかなりマニアックな感じですね。(笑)

北川原:そうかもしれない。

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