平沼:なるほど。古谷さんは建築の形態に、スタイルをお持ちでないじゃないですか。あらかじめ用意された素材を利用するばかりではなく…。ということは、つくられるプロセスに何かの癖のようなみたいなものをお持ちなんじゃないと勝手に思っています。ファーストスケッチから進めて描くのか、それともリサーチからかなり詰めていくのかなど、どういう風にプロセスを導き出されるのかっていう、設計の初めの状況に、どういう風に置かれているのかということをお聞かせ頂けないですか。

古谷:うーん、あまりそう苦労した覚えがないんです。この場所で、この要求があって、こういうものに取り囲まれてこうしようとしているなら、こうなんじゃないというものがなんとなく出てくるんですね。それは内部から始まることもあれば、屋根から始まることもあるので、一概にこれと言えないからスタイルにならないのかもしれないんですが、そこに立った時に想起させる何かがあるんですよ。時にはほんとに四角くて向こうが抜けて見えるようなものも時々あります。さっきの話と関連させて言うと、ある時に藤森照信さんから、「お前子供の頃どんな家に住んでた?」って言われたことがあって、さっきの6畳1間があって、向こうが抜けて縁側で庭になっている家の話をしたんですよ。そしたら「やっぱりお前、それだよ。」と言われて。どうもアンパンマンミュージアムにせよ、中里合同庁舎にせよ、茅野市民館にせよ、色んなものに四角くて向こうが抜けてるというのが多い。藤森さんのリサーチによれば建築家の作品に繰り返し表れてくる空間の原型はその人の子供の時に関係しているというのが彼の結論で、それが見抜かれちゃって、驚きました。

平沼:はぁ。もう1つ、建築以外の分野に影響受けることってありますか。もしくはないですか。

古谷:はい。あの、関心のあるものはいっぱいあるんですけど、1つ言われるとやっぱり、僕は実験劇的な小劇場のような演劇が好きなので、それからはかなり影響受けていますね。

平沼:へぇ〜。

古谷:今日紹介しなかったのですが、生まれて初めて作った住宅の狐ヶ城の家の時にはもうほとんど生活の舞台を作るつもりで作っている感じがありました。僕は太田省吾さんという転形劇場っていう劇団を主催していた演劇人にとにかく感化されました。大阪では近畿大大の文芸学部で先生をされてました。太田さんの無言劇からは相当刺激を受けたし、触発もされていて、有名なのが「水の駅」という舞台の真ん中に舞台装置としては水道の水が1本出ているだけで、そこにいろんな人が入れ替わり立ち代わり現れるという作品ですが、「地の駅」を見た時にもすごく触発されました。これは大谷石の採掘場の跡で、うず高く積まれたごみの山を無言で人が通り過ぎていくだけの劇でした。通り過ぎていくっていうと簡単に聞こえますが、2m歩くのに5分もかかるような、動いてるのかいないのか分からない歩き方なので、気が付くとそこにいて、しばらく経っても2mぐらいしか進んでない。でも止まっているのではなくて、少しずつ動いてるという独特な動き方が太田さんのメソッドであるんですが、それにはすごく触発されました。というのは、要するにどこを見たら良いか分からないんです。普通の新劇的な芝居とか、歌舞伎でも、見得を切ってくれたらそこを見ればいいし、セリフをしゃべってる人がいたらその人の顔を見ればいいんですけど、ゆっくりすぎて動いてるかどうかも分かんないからどこを見たらいいか分からないんですが、確実に変わってるので、全体を見てみたり、誰かに集中して見てみたり、芝居を見る人が勝手に編集してるんですね。だから筋書き通りではなくて、自分でそれを編集してるという感じがあって、建築ってこれなんじゃないかなって思いました。つまり現れた人が、自分が勝手に気に入ったものにフォーカスしているだけというこの演劇からはすごく影響受けてると思います。

平沼:なんか今日いいお話いただきましたね。建築家で影響を受けられた方っておられますか。

古谷:建築家っていうものの存在を知ったのは丹下健三なんだけど、その後いろいろ勉強してる中では、色々あって学生時代に一番好きだった建築家は、後から聞いたら妹島さんもそうだって言ってたけど、ジョン・ヘイダックなんですよ。僕が2年生だった時の1975年のa+uの5月号にジョン・へイダックの特集が載ってるんですけど、これには驚きました。アンビルドで、あの頃何にも建っていなくて、全部ドローイングだけの建築家だけど、そこに出ていたインタビューの答えが振るっていて、「あなたに最も影響を与えた建築家は誰ですか。」みたいな質問をされてたんですが、それが「アンドレ・ジイドとマルセル・プルーストです。」って答えになってて、「では最も影響を与えた建築作品は何ですか。」って言われたら「『背徳者』と『失われた時を求めて』です。」みたいに答えてて、何を言ってるんだろうなこの人はと思いました。でもそこまでは、ちょっと一流の人にありがちな気取りかな、と思ってたんだけど、最後の方の質問に「あなたの建築にとって最も大切なことは何ですか。」っていう質問があって、「端緒です。」って書いてありました。糸口って意味ですね。それには2年生だったけど痺れちゃって。ませた先輩が色々教えてくれたんだけど、ジョン・ヘイダックはあんまり教えてくれなかったの。でも自分で初めて気に入って、買って帰ったのがその75年5月号のa+uで、相当大きな影響を与えられて、学生時代はほとんどそれを見て設計する感じでやってましたね。

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