平沼:うーん。建築ってなんですかね。

古谷:ははは。大きな質問ですが一般的な意味で言ったらさっき言った、人が人と会うための場所っていうふうに思っているんですけど、建築を考えようとすると、社会や世界や人間のことなんかを考えることになるので、僕にとって社会や世界を考えるためのすごく重要なツールですね。

平沼:うーん。この質問聞き逃しちゃいけないと思ってるんですけど、カルロ・スカルパとジョン・ヘイダックはどう関係するんですかね。

古谷:ジョン・ヘイダックもね、実はよく見ていただくと分かるんですけど、すべて違ったものが組み合わさってできていて、ある種のものがリピートしたものがないんですよ。それは象徴的に抽象的にいくと、幾何学的に丸の四分の三、四角の四分の三、それから菱形の四分の三みたいなものを、不思議な要素で繋いでつくってますよね、あれは要するに異なったものが組み合わさって一つのものができることを抽象化した形で表したのがジョン・ヘイダック。本当に一つとして繰り返しがない多様なものを、古いものも新しいものも組み合わせて、一つの世界に混然一体としてつくってるのがカルロ・スカルパ。つまり、両方とも何か均質化されたものの繰り返しでできるんじゃなくて、違ったものが繋がって一組になってできるっていうことをやってたんじゃないか。だから僕は好きなのかなって思ってるんですね。

平沼:あぁー。思い出せないですがその、パッチワーク論みたいなのをイギリスで誰かが言っていたのを聞いたことがあります。

古谷:これ話すと長くなって時間がなくなっちゃうんけど、もう一話題ぐらい本当は入ってるんです。僕の出身の青山高校のラグビー部が東京都大会のベスト4になったことが1回だけあるんですよ。で、向かいの秩父宮ラグビー場で準決勝やると。残りの3校は全員坊主刈りみたいな感じでガタイも何もみんな見分けがつかないぐらいに揃ってんの。でも青山高校のチームだけは体格もめちゃくちゃバラバラで長髪もいれば、短髪もいる。でね、僕は形がそろって力を出すよりは、全然まちまちな奴が組み合わさって力が出るっていうほうがなんか、いいんじゃないか。っていうふうになんとなく思っています。ユニフォーム着せて丸坊主にして力が出るのは軍隊と同じで、力は出るんですが、そこの中には多様性がないから、何かが間違ってるとポッキリ折れちゃうような非常に脆弱なものになる可能性がありますね。ところがこのチビデブはね、少々何かが違っても大丈夫なんですよ。今の言葉で言うとレジリエンシーみたいなものがあると思ってます。

平沼:うーん。ちょっといい話聞いた。

古谷:最後少し、ちょっとスピードアップします。被災したところはいっぱいあるから大変なんですけど、日本中被災してなくても既に大変な所もいっぱいあるんです。これは島根県雲南市で、桜がきれいなところだから桜の日はこうやって人がくるんですけど、近所の商店街はシャッターが下りていてガレージみたいな感じです。なんとか一年に1回だけでも、そこにみんなが集まれるような場所を取り戻そうとして、この雲南の桜まつりを提案しました。空いてる店舗を借りて、学生たちが自力で改修して年に2日だけの商店街を開きました。でもそれだけでは人と人が出会えないと思ったんで、道を通行止めにして、たった2日間だけど、道のまん中に100mのロングテーブルを出したら、買ったものをその辺で食べられるし、食べだせば、それどこで買ったんですかって話の始まりの糸口、ジョン・ヘイダックの言う端緒にもなる。その上、1回目をやったら2回目から地元の人たちがその気になってやってくれてるんで、今度僕たちはそこにちっちゃな子たちや若い子たちを巻き込むことを考えて、今では小中学生や高校生がそのまつりを積極的に盛り上げてくれているんです。僕はこういう大人から子供まで世代を超えて協働する場面ってすごく重要だと思ってて、日本の教育は全部同じ年で横に切ってその中で競争してるんですけど、そうじゃなくて知恵とかそういうものは年の差がある、同級生を知らないのに先輩をやたら知ってた早稲田の手伝い集団みたいなものが足りないんじゃないかと思っています。これは同じ雲南市で築100年経って雨漏りしてる民家を、なんとかお金の稼げるものになんないだろうかって学生たちと考えて耐震壁をいれて耐震改修してオーベルジュにしました。この温泉地にたった2軒しかなくて、週末には予約が取れないぐらいになってます。これは同じ雲南市のもっと山奥の築60年の木造の学校を改修、残ってたアルミのミルクのカップを照明器具にしたりして地区の交流センターに改装したものです。学校に縁側をくっつけて倉庫の壁を取っ払って舞台にして、その一角にガラス張りのキッチンを作りました。村まつりの準備をしたり多様な世代がいろんなことをやってるのがお互いに見える。お祭りは典型的な多世代が歳の差を超えて協働する場面で、夏祭りでは僕も1曲歌わされたりして、昔から日本にはこういう場所がいっぱいあったんですよ。これ阿波の農村部ですけどもそういう場所が急速になくなってるんで、取り返す必要があると思っています。

>>続きへ


| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | NEXT