山下:一級建築士の資格の勉強をしていて、第一条をあまり見ないことに気づいたのです。ちなみに、僕は日本の憲法の第一条を調べていきましたけど、意外に少し違いました。「建築とは何か。」という話でいくと、素人の方に「建築ってなんですか?建物と何が違うんですか?」僕たちは聞かれます。それを自分なりに整理してみました。プロからすると、建築と建物は少し違うのではないかと思っています。5つの項目、機能性、経済性、環境性、形・素材と色、これらはやはり建物ではないかと思います。一方で、建築とは何だろうと考えたときに、文化性、社会性などが合わさって初めて建築と呼べるのではないか、単純に経済的な箱でなく、文化社会の一つである建物に対して建築という言葉を使って分けているような気がします。
また、建築家とはどんな職業なのか、と聞かれます。設計者、一級建築士と建築家は何が違うのかを子どもたちから聞かれますが、当然ですよね。設計者は建築だけではなくて、デザインをする者です。デザインという言葉に一番合っていますが、何かアイデアを考え、それを図面に描いて指示をする人を設計者と呼びます。そして一級建築士とは、二級建築士も当然ではありますが、単純にこれは国家資格です。一級建築士という資格を持っていると建築物と呼ばれる全てのものを設計することができます。最後に「建築家とはなんですか?」と言ったときですが、「建築家」は日本へは160年170年ぐらい前に入った考え方なんですね。西洋、ヨーロッパ、ギリシャ、何千年も前から建築家という職業は存在しています。それはすごく尊敬されているものです。理由として、アートや政治などのいろいろなものを司って、それらのリーダー格として大きな意味でのデザインする人だからです。それを建築家と呼んでおり、アーキテトというのですが、単純に建築を設計するだけではなく、僕は社会のデザインまで行う者が建築家であると思っています。このように分けて、なんとなく理解していただけると嬉しいです。
そのため、建築家はただ単純に建物を作るだけではなく、建築を作り、地域づくりを行う、地域をデザインする者だと思っています。建築家は、世界中にたくさんいらっしゃいますが、その中でも日本人建築家のレベルは、非常に高いと言われています。150、60年前からの歴史の中で、今現在は大分狭くなってきましたが、裾野がすごく広い時がありました。世界の中でもベスト3以下にはならないだろうと言われるほど日本の建築家のレベルは高いと言われています。ここに出ていらっしゃる方々のおそらく皆さんが言われていると思います。しかし、それだけレベルの高い人が日本にいるにもかかわらず、社会的にあまり認知されていないのが現状です。
そこで僕は、建築を作って、地域づくりするだけではなく特色をこのように考えています。奄美で生まれたことで僕にとって自然と建築は一体であり、あまり差異がありませんでした。そのような意味で、それぞれが持っている水であり、木であり、例えば建築の材料であり、石であり、それらが僕には全てが建築の要素であると思っています。その中でも、素材と言うのがすごく好きなんです。何故かと言えば、素材は何万年、何千年もの間培ってきた歴史性を持っていて、絶対嘘をつかないもののようであるためです。その素材を使って地域づくりができないかどうかを、ここ最近十数年取り組んでいます。素材のそれらを活かす方法として大きく3つあると思っていて、すごく分かりやすい言葉で言うと、「みすてられたもの」から考えること、「そこいらにあるもの」から考えること、「うつろいゆくもの」から考えることです。それでは、これを今から見せていきます。そこいらにあるものというのは、例えば木とか石とかタイルですね。これは2004年に韓国で初めて国際コンペがありましたが、そこでありがたいことに、韓国で初めての賞をいただき、博物館を作りました。ただ韓国は、当時はまだまだ整備ができていませんでした。今であればもっといいものが作れると思うのですが、行政の整備ができていない中で行いました。そこでもやはり地元のものをとにかく使いたかったので、このようなものを作りました。

そして僕は素材を使ってさまざまな活動を行ってきましたが、このエチオピアのプロジェクトが、一番の原点だと思います。エチオピアの2007年は、エチオピア歴2000年の年でした。その時に外務省が日本からプレゼントを三つしたいと申し出がありました。そして、たまたま僕に話がこう、、どのような感じで話せばいいですかね、こう話をしたほうがいいですか。こういう話もたまにあったほうがいいでしょうか。

平沼:もちろんです。

山下:ほんといいですか。お二人を気にしなくて(笑)。平沼さんが隣で「うーん、うん。」と言ってくれるから、ついつい、ここもあそこも、話したいと思ってしまいます。(笑)

偶然に外務省のある人から、日本文化会館を作りたいからアイディアを1枚出してほしいと言われたんです。その当時は、エチオピアに行ったこともなかったので、ネットで調べると面白い場所で、奄美に似てると僕は思いました。なにかいいものがいっぱいあるんだけど、今の時代の宝物が何もない。それは石油とレアメタルなんですね。アフリカは石油かレアメタルが出たら金持ちになれる場所です。でも逆にそれによって攻められる場所にもなりえます。でも当時エチオピアは本当に何もなくて。人間が1番スタートとして生まれ、発見されたのがエチオピアです。ルーシーって皆さんご存知ですか。そのときは、ルーシーを入れる入れ物を日本からプレゼントしたいとか、箸を1本プレゼントしたいとか、そして日本文化会館をプレゼントしたいという話がありました。その話がたまたま僕のところに来て、断面図を1枚出したのです。そのコンセプトが面白かったらしく、これでやろうということになりました。エチオピアも貧しい国ではありますが、何千年も培ってきた民家、石造りの民家がありました。この右側に、このようなものですね。民家がこのように捨てられているんですね。行って分かったのですが、半分以上が捨てられていました。貧しい人の住まいの象徴であるためです。そして、エチオピアは貧しいので、石などしかありません。ただその石を円形につんで葦をこうガーっとカバーして屋根にかけて住むということでした。そこで、そのような貧しいものをつかって何かを行いたいと思いました。僕は島根県の古民家をしばらくリサーチしていましたが、そこでも多くの古民家が捨てられていました。島根県の古民家とエチオピアの古民家はどちらも捨てられていますが、これは宝物だというような、何か枠を作ってあげたいと思いました。日本というのは、昔ながらの物も大事にする場所であるということ、違う人の文化さえもそこに価値を見出す国であるということ、それも自分がデザインしたものではない中で言えるということを表現しました。すると、そのようなアイディアに対して面白がってくれまして、島根県の捨てられてた古民家をエチオピアに持っていって、エチオピア人だけで作りました。うちのスタッフが3か月間張り付いていましたが、骨組みだけは日本の120年前のもので、仕上げ材はエチオピアの材料です。ここで、僕はエチオピアの物をやったときに彼らの物にたいして本当に少しだけデザインをしてあげようと思いました。95%は彼らの物であり、あと5%が僕のデザインとして考えました。真っ暗な住居だったので、ガラスのレンガのB級品を日本電気硝子にお願いして、とにかく安く譲ってもらい、2段積み重ねました。そうすると脇から光が入ってきます。エチオピアの人たちは基本的に肌の色が真っ黒なので、住居入ると本当に光がなく、真っ暗の中で、もぞもぞって人が動くんですね。とにかく一筋でいいから光をあげたいなあと思って、そのガラスレンガを積んで光を入れると、空間が見えてきました。それに、梁はかかってなくて、木だけが全部で100本くらい並んでいたんですね。それを全部取って、梁を3本かけ、そこに塚を1本立てて、ここにのぼり梁も板でやって、葦を葺きました。葦を葺くときのこの輪っかのデザインは、500年前の世界遺産になっている教会があったので、その教会の編み方を真似て、ピッチだけという2本をこのピッチで行いました。だからほとんどデザインは何もしていません。デザインではなく、これがオープンして、ギャラリー展示場として使うことを提案し、募集をかけたところ、30組の人の手が挙がりました。要は30の倍率があったんですね。そして、結果的にある1つのギャラリーが入ったのですが、そのとき思ったことは、僕がすごいのではなく、彼らが、自分たちの物に少し手を加えたことで、自分たちの空間は素敵であること認識したことなんです。そして、そのきっかけを僕が作りえたことです。僕は、これが建築だと思ったんですね。何かすごい建築を作るというよりも、僕ら建築家は同じように社会のために、建築を通してあるきっかけを作りあげることだと思います。いろいろな形、いろいろな素材を使っていろいろな開発をしたりしていますが、僕の今やってるものの原点はこれかなあと思っています。僕はすごく大好きなんです。何もしてないから大好きっていうのも変ですけどね。
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