小川:覚えてないですね(笑)。結構ローコストで、2400万くらいで作っていますね。多分、若い学生さんとか、建築と関係ない方もいらっしゃいますよね、今日の講演会。余り知られていないと思うので、自己紹介がてらにお見せしたいと思いますが、1999年に鹿島出版会から出して頂いた特集号です。それから次は、彰国社で図面集として出版されて再再販になったもの。今度は実施図面集を出しました。この写真は、東京の事務所からの風景と広島の事務所からの風景で見晴らしがいいところです。20歳、私が交換留学でワシントン州立大学に行った時に、初めてアメリカの大地を体験してパシャっと撮った写真です。結構衝撃的でした。一年間の留学が終わって太平洋を渡って日本に帰るといつまた海外に来られるかわからないので、ぐるっと地球を反対に回って日本に帰りました。お金もないので、バックパックとパンと水で。

芦澤:どれくらいの期間行かれていたんですか?

小川:2ヶ月ほどです。
その後文化庁でニューヨークに行くことになって撮ったのが、ポール・ルドルフの事務所です。その時にも色んなところへ旅に出かけていました。

平沼:なるほど。今日の会場には、結構、若い学生たちがきていまして、どうやって建築家になるんだろうみたいなことを、悶々と考えている学生たちが多いのです。このような旅の話しもそうですが、ルーツをお聞きかせいただけますか。

小川:なるほどですね。僕が育った時代、建築にいくような人は、幼少期や小学生の頃に、プラモデルや工作、ものづくりに惹かれた人が多くいた気がします。小学4年生の時に30分で描いた写生の絵が5年の時に出して県で特選に入ったりして。田舎の学校ですから皆から天才だと言われていましたが、東京に出たらただの凡人でした。(笑)

平沼:(笑)わあ、すごいじゃないですか。

小川:中学校の頃は、剣道一筋でしたね。猛烈なしごきで。(笑)でも、しごかれていたおかげで、ずっと春、夏、秋の大会で優勝していました。あと自分の部屋を、毎月のように模様替えしていました。

平沼:えっ、毎月のように、ご自分の部屋を模様替えですか?

小川:高校時代は美術部に属して、音楽のバンドもやったり、剣道部はキャプテンになり、県でベスト4に入り、顧問の先生からは、大学は剣道推薦で将来は警視庁だと言われていました。(笑)

芦澤:警視庁!(笑)

小川:そう言われたのですが、ずっと剣道をやる気はなく断って、今がある感じです。
剣道は五段です。公認審査員の資格も持っています。

芦澤:小川さんが警視庁も似合いそうですね。(笑)

平沼:建築を始めようとしたきっかけは何でしょうか。

小川:小学5年生の時に、親が家を建てなおすことになり、当然、設計者がきて打ち合わせするのですが、全然そのイメージが良くなくて。(笑)私の場合コンクリートで屋根の上のテラスに出て食事するみたいなイメージがあったんですけども、自分がやった方がよっぽど上手いと思って、将来は、設計士になろうと思っていました。

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