香山:はい。そういうことに感心しました。日本の住居、木造は確かに優れている。しかし作り方があまりに発展しすぎ洗練されすぎてしまって。もう素人では手出しできない。しかしこれなら俺でも作れるんだ、そういうことに感心しました。これが僕の通ったフィラデルフィア大学のファーネスビルディングという建物で100年経っているんです。カーンのスタジオはここにありました。ここで、16人の学生がカーンを囲んで議論するというのが授業でした。先ほども申しました通り、カーンの授業は常に、観念的であると共に具体的でいた。下の階に図書室があって、古い本がいっぱい入っている。ペン大の建築学科の基になったのはフランスの建築学校エコール・デ・ボサールです。だからエコール・デ・ボサールからもらってきたすごい本がいっぱいあった。カーンは、今言っている例はあの本のあそこにあるそれを下に行ってとってこい、と言うんです。

平沼:当時のカーンは、大学にいらっしゃったんですか。

香山:事務所も開いていましたが、それまでは長く仕事が少なくほとんど大学にいた。しかし熱心な、夢中になる情熱的な教師でした。周りの人はルナティック・ルーティーンと言ったんだけど、ルナティックっていうのは、奇印ということなんだよね。だから長い間あんまり仕事も来なかった。でも熱心な先生でしたね。

平沼:先ほどおっしゃいましたけれどもスタジオは16名くらいなんですね。

香山:16名が一つの大きなテーブルを囲んで、誰かが持ってきたスケッチを出すとカーンがそれを見てあれこれ言う、その繰り返しです。

平沼:なるほど。それは大学院生ですか。

香山:そうです。カーンが教えていたのは大学院生ですね。マスターのクラスを教えていました。僕は日本でマスター終わっていたからそこに入れてくれたのです。ヨーロッパから来ている人も大体そこへ入っていた。アメリカ人でも他の大学を出てからもう一度、そこに一年だけ行っているというようなクラスなんですよ。

平沼:人気があって競争率が高そうに思えていたのですが実際はいかがでしたか。

香山:日本と違って競争率が何倍かは分からない。少なくとも、そういう概念が、その頃はなかった。こちらから送ったポートフォリオと推薦書を見て向こうで選ぶわけです。僕も、教えるようになってからも何度か、選ぶ側になったこともありますが、日本みたいに成績の順位で上から選ぶというのではなく、サッカーチームみたいにちょうど良い組み合わせを作るという感じです。ラグビーのようにコイツは足は遅いけれど突進が強いとか、そのような感じでその年のクラスというひとつのチームを作るというわけです。面白かったです。講評会は先生同士も本当によく議論するんです。この中にロバート・ヴェンチューリとその奥さんのデニーズ・スコット・ブラウンがいましたが、素晴らしい論客でした。カーンのスタジオだけでなく、ペン第の授業全体に僕は感心したし、嬉しかった。このドローイングは、一寸昔のフランスの伝統的なやり方に基づいた授業ですが、建築の細部をきちっとまず教える。これをきちっとマスターしないやつが勝手にプロジェクトを作るというのは意味がないという考えです。僕のいた時は、もはや、それに忠実に従っていたわけではありません。しかしそういう伝統があったので、歴史的なものを基本にするということがあったんだと思います。あるいはこういうコピーとかね。みんな学生のドローインングですが、線だけで書いているというのは駄目。なぜかというと建物には奥行きがあるから例えばただ影にするのではなくて、最後のところは反射光がくるからちょっと明るくなるわけだよね。これで建物が丸いのがしっかり分かる。丸さを理解させるということです。そういうのが基盤にあったからだと思います。カーンが初期にやっていた住宅エシェリック邸という小さな住宅がちょうど出来たところだったんですけど、その最後のところを見ていて、本当に面白かった。窓に光がどう入るのか、あそこからどう見えるのか。3年もやっていた。とりわけ彼らは窓からどう見えるか、それから光がどう入るかということで窓の形を決める。窓はサッシをはめれば窓だろうと思っていたら違うというわけです。

芦澤:現場が3年ということですよね?

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