香山:それをどう取り出すかというのは違いがあるでしょう。そこに個性も、時代も働くのでしょう。

芦澤:もう一つ。最初にボサールの話もありましたけど、つくられている建築の形が非常に明快だと思うのですが、幾何学のコントロールとプロポーションに対する意識、その辺りも一貫して考えていらっしゃるのでしょうか?

香山:一貫するとか、強く意識してやっているわけでもないが、「そういう意識が強いですね。」と今、芦澤先生が言われたようにそう言われることが多いので、それは意識ではなくてそういう体質はあるのかもしれないです。しかし、それは、理念・方法というより肉体的なものといった方がいいかもしれない。というのは、幾何学的な形体、その秩序というものは、建築においては、制約というより、武器、有効な道具ですからね。それをうまく使わない手はない。手で作るあるいはものを見る、やはり目というのは肉体の一部で自然の一部ですよね。幾何学的な世界の認識、これも太古からの人間の一部、全て人の何かではありますね。

これは彩の国さいたま芸術劇場です。1990年代に入ってようやくコンペに勝てたんです。しかも、かなり大きな芸術劇場です。僕はその時選んでくれた、今は亡くなった近江先生と池原先生、坂本一哉さん等にいつも足を向けて寝られないという感じです。それまでひとつも劇場は作ったことがないのに劇場を作った錚々たる大先生達の中に混ぜていただいた。だから僕は開き直って、一度もやったことがありません、やったことがないからやらせてください、お願いします、僕は誰もやったことのないものを作ります、と言ったんです。そうしたら審査員は不思議なこと言うね、だけどそれも面白いと言って選んでくださってやりました。しかし、これは今も既に芦澤さんからの問いがあったように、歴史的ボキャブラリーを様々に組み合わせる試みをしていますが、コンセプチュアルにもそれまでの劇場のように大中小のホールを大きな建物の中に全部詰め込むんじゃなくて、それぞれをバラバラにして組み立てて、小さな街を作ろうというものでした。コンサートホール、芸術劇場、演劇の劇場、オーディオ・ビジュアルの劇場がひとつの広場で囲んでいるというもので、そこを大階段で上がっていくというものです。名古屋大学にいた清水先生とか、劇場のことを考えていた人たちのサポートがなければ出来上がらなかった。真ん中の広場の下とか、全体を繋いでいる長い廊下とか、普通、劇場の裏周りというのは外に見えないようになっているわけですが、あそこも楽しいから見せたらどうですか、と長い廊下にして見せたのがガレリアです。そういう繋ぐ空間を色々工夫しました。これは、演劇専用劇場ですが、ここは現代演劇、古典演劇、シェークスピアも日本のもやりたい、だから時に日本的に見えたり、時にはエリザベス座に見えたりする、そんな様式を作って下さいと言われて、やってみたものです。

芦澤:そういうボキャブラリーを色々組み合わせているんですね。

香山:そう、色々組み合わせてあるということです。実際にそこでシェークスピアをしょっちゅうやっています。現代劇もやっているし、日本の歌舞伎もやります。こちらはクラシック音楽専門の劇場で、シューボックスという基本的な形ですけど、自然光を入れるようにしました。ヨーロッパのコンサートホールは光が入っているのが多いんですよ。でも日本は暗い。しかし、音楽家からは、あなたは何をやっているの、あなたは芸術音楽、クラシック音楽の神聖さを理解してないとか言われて、しょうがないので閉まるように作りました。でも、僕は心の中で閉めて使っている音楽家の時は減点しています。

会場:(笑)

香山:自然光の中でやれないような音楽家か、君たちは、と僕は心の中で思うのです。これは夕暮になって劇場に人が集まってくるころに西日が当たるようになっています。これは、佐賀の図書館です。図書館も本を読むだけではなくて、公共的な集まりが色々出来るようにということをやったものです。同じような形で、これは東大の農学部の講堂です。今日木造は盛んになりましたが、これは新しい木造で作るということをやった最初のものといっていいでしょう。

平沼:こちらの設計料は頂けましたか?

会場:(大笑)

香山:(笑)これは東大を辞めてから、最初の仕事で、少なかったですけど頂きました。全体構成は見ていただければすぐ分かる単純なもので、全体に片流れの屋根がかかっていて、真ん中に楕円形の構造が入って、それが上に出ている。上に出る形は色々変わりました。その後、未だに木造は面白いと思って色々やっています。最初は小さな山小屋でしたけど、その後、公共的なものをやったのはこれが最初で後には、市庁舎もやりました。木造を外壁に使っています。市庁舎をタウンホールと言っていますけれども、単に住民票を貰いに行ったり税金を納めに行くだけだと寂しい。ホールというのは、大広間、大きい部屋という意味ですから、真ん中を広場にして公園に繋がるように作りました。夜は明るくなったり、ジャズコンサートをやったり、結婚式をしたりしています。木造の公共建築は、続いて熊野本宮大社の下にある熊野本宮館を設計しました。この建物のためには和歌山の木を200本切らせてもらいました。24cm角の杉柱を400本使いました。こんな贅沢普通は出来ないですね。

芦澤:プロポーザルで勝たれたのですね。

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