芦澤:内藤さん、結構、地方でもいろいろやられていると思うんですけど、地域的なコンテクストとか、かなりリサーチされて建築の形態を考えていくんでしょうか。

内藤:なかなかね、都会は僕に頼んでくれないので地方に…。(笑)
もちろんね、例えばプロポーザルコンペで、地方に行くわけですよね。始めはわからないですよね、いくら勉強したってそこに住んでいる人には追い付かないわけです。

芦澤:そうですね。

内藤:なので、できるだけ感じ取るようにしているんですよ。その地方の空気みたいなものとか、その町の空気みたいなものとか、それから当然ながら歴史を勉強したり、その場所の技術を勉強したり、色々していくわけだけど、作っていくプロセスが結構長いですから、その中でだんだん理解が深まっていくというかたちが多いかな。とっかかりは、なんとなく感じ取ること。だからコンペの敷地に行くのは今でもそうですけど、スタッフを連れていかないですね。

平沼:あっ、そうですか。

内藤:一人で行くことに決めているんですよ。人と会うのと同じですよね。その第一印象でその人から何を感じるか、みたいなのがとっても大事で。一人でうろうろして、ああかなこうかな、みたいなのを考えながら帰ってくる。敷地と会うときはほとんど一人です。

平沼:どんな建築空間を作りたいと目指されていますか。

芦澤:「海の博物館」をやられた時から、変わってきましたか?

内藤:基本は変わんないと思っているんです。建築家は一人一人みんな違う種類のものを持っていると思うんです。生まれた頃の体験だとか、幼児体験だとか、いろんな体験によって、建築家一人一人持っている空間感覚って違うと思うんです。私は私の体験から生まれてきた空間の質を求めているという事は変わらないですよね。それが微妙にプロポーションのあり方だとか、素材のあり方だとか、そういう物に繋がっているとは思いますけど、あんまり変わってないですね。当初はわからなかったんですけど、最近、3.11以降、僕の中で何か変わらざるを得ないという体験があって。どう変わったかっていうのははっきりとは言えないんだけど、人の居場所をつくるっていうことに意識が強く向かうようになりましたね。今でも覚えているんですけど、陸前高田に被災後2週間後に行ったんですけど、海が凪いでほとんどまっ平らで、その後ろ方はほとんどグランドみたいな台地が山裾まで全部洗われている大地があった。衝撃的な風景でした。波打ち際の渚に立ったときにね、僕、無神論者ですよ、だけどね上から神様みたいな人が、そこは居ちゃいけない場所だって、言っているような気がした。要するに、人が居る事を否定された場所なんですよ。被災された方々は、みんなそういう体験をしているんですね。あなたたちそこに居ちゃいけない、っていうか存在しちゃいけないって言われているような感じ。それでその事がずっと頭にあって、建築家っていうのはやっぱり人の居る場所をどうやってつくれるか、そこにいてもいいんだよ、って言われているような場所をどうやってつくれるかっていうのが建築家の大事な仕事なんじゃないかと意識的に思うようになりました。

平沼:うーん…。

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