芦澤:上と下が今の案で言えば、村の部分と多柱室の間というのが、かなり断絶するのかなって思ったのですが、そのあたりは敢えて、分けるということなのか、下に大空間を作って、上は村の状態にするっていう状態なのか、それとも、もう少し接続的なものを設けるのか、場所場所によって考えられているのか、その辺いかがですか?

平田:体験レベルでは繋がるところは繋がると思います、開口がありますし。ただ、ガラスで区切られているだけでも、暑い国なので屋内と屋外の環境がかなり違いますね 。

芦澤:たしかに、違いますね。

平田:やはり外にいる時の感覚と中にいる時の感覚がずいぶん違うものになるだろうと思っています。その時に、いつもはとにかく、その二つを近接させようとしているのですが、今回のプログラムは思い切って変えてみても面白いかなと思いました。水面から頭を出したときには姿が見えたり、周りの島々だったり。潜ると海とずっと繋がっているとか。そういう風になっていたら、それはそれで楽しいんじゃないかと。楽しいし、プログラム的にも、元々 自分から考えていた訳じゃないですが、中はもっとフレキシブルに繋がるようにして欲しいと 言う要望に応えようとして、最初は色んな開口を開けていました。中も、外もと。でも、ちょろちょろちょろちょろ開口を開けて、もう少し大きくしようとか言っていたのですが、そういうちょろちょろ やってちゃいかんだろうと。もっとばさっと切らないと成立しないなと思いました。

芦澤:その辺のこう、大鉈ぶりが、いい感じですね。(笑)

平田:大鉈ぶりでやりたいと思っているんですけどね。でもそれでもなんかちょろちょろしちゃいますよね。外国でやっていると、もっとばさっとやらないと駄目なんだなっていうのを感じる時が結構あります。とはいってもちょろちょろしないと、駄目な時もあるじゃないですか。ばさっというのと、ちょろちょろっというの間とか、やっぱり難しいですね。

平沼:ご自身で位置づけをするならば、歴史におけるご自身の建築をどのように位置づけられていますか。

平田:そうですね。例えば前川國男さんが、建築の歴史はピラミッドから始まると言っておられました。つまりピラミットの頃から始まって、プランを書いたときに、黒く塗りつぶす部分が段々無くなって行く歴史なんだ、みたいなことです。近代建築に至って、段々ゴシックとかロマレスクとかゴシックにいって、柱が壁になっていって、近代建築でどんどんこう、皮膜だけになる。その皮膜まで還元されて、その皮膜の内外に、結構色んな問題があるかもしれないと。前川國男さん、結構面白いこと言っておられるなって感じました。その前川國男さんが言っていた頃のその皮膜問題みたいなものを更にもっと発酵させると、どうなるのかっていうのが、からまりしろの話に結構近いのかなって思っています。もっと、溶けるというか完全に溶けるわけじゃない、そういうものとして捉えられると面白いかなと思ったりしたことはあります。

平沼:純粋に聞きたいです。どんな建築空間を作りたいと目指していますか?

平田:凄い質問ですね。やはり生きているっていう感じなんですかね。生きる喜びみたいな物を感じるものがいいですよね。もちろん色んな喜びがあるから、一通りじゃないと思うんですけど、全部が均一になっていって、ひたすら綺麗、というのはつまらないなと思っています。例えば、少し薄暗いところにピッと、光が差していたら「おおっ」と思いますよね。それで「おおっ」と思うけど、それが美学になってしまって、どやぁていう感じになっちゃうと、それはそれで、つまんないなと思います。もっと自由というか、生きているところから出てきたような感じのする、そういう、 ピーキーな部分 を色んなふうに 持っている 建築がいいんじゃないかなと思っています。

平沼:平田さんのことを、僕たちから見ると、結構面白いんですよ。プロデュースっていうんでしょうか。今日はすごくわかりやすく話してくれていますが、普通の講演会を聞いたとき、全くちんぷんかんぷんな、一般の人やお客さん、おじいちゃん、おばあちゃんが多いと思います。何言っているの?って、僕、隣から聞かれたことがあるくらいです。でも平田さんがやっていることって、最終的に空間化した時に、一般のおじいちゃん、おばあちゃんにも共有できそうな気がします。その共有した時の、思考の交感こそが平田さんがつくったこの空間で表現されるんじゃないかと思っています。

平田:そうですね。だから、例えば、さっきの台湾の観光に来たおっちゃん、おばちゃんがここで写真撮りたい、みたいなこと言ってたじゃないですか。それって非常に根源的なような気がします。写真を撮ることが根源的かどうかわからないですけど、でも「おぉーー」みたいな感じが、それは、なんか滝を見て「あぁーー」ってなるのと近いはずなんですよ。その建築だけでそうなってるっていうより、川があって、その川のシチュエーションがあって、それと合わさってなにかできている。街だったら、街の持っている、例えばローマのスペイン階段は、あの地形のあそこにああいうものがあって、ほとんどエレベーションとして、バッと立ち上がる場所が集まってデザインされているから、 力があると思うんです。観光名所だからちょっと端な目で建築家って見がちですけども、僕はやはり、ああいう場所はよくできていると思います。そういう風によくできていれば、 共感も生まれるかもしれないんですよね。とはいえ、色々完璧に 設計の段階で共有される のは難しい。ある程度使われて認知されていったときに、あぁ、やっぱこれがなかったらこの街はなかったなと思えるものが建てられたら一番本望ですよね。


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