芦澤:コルビュジェの名前が出たので、コルビュジェの時代の建築家の役割と、我々の時代の建築家の役割を伺いたいです。コルビュジェは、社会全体を作るということと、建築環境を作っていく、新しい空間を作っていくことをしました。コルビュジェは、非常に社会が変動している時に出てきた建築家のある種のスタータイプだと思います。現代の建築家の藤本さんとしては、こういう在り方は、なにか描いているものはありますか?

藤本:最近思うのは、言ってみればベンチャーみたいなものなんじゃないかなあと。例えば、若い建築家がいて、隈さんとか伊東さんみたいな成熟した建築家がいて、あとは日建設計とか組織の建築家がいます。日本だけじゃなくて世界にもおおまかにいうとそういう分かれ方をしているとしたら、我々若い建築家は、スティーブジョブズがガレージで作っていたみたいに、これからの時代これ面白いのでは?みたいな、未来の種みたいなものを構想して提案する。だけど当時ガレージでやっていた奴は何百万人もいて、大体しょうもないものを作って消えてしまった。僕たちも同じで、歴史の役割みたいなものの中で、一生懸命やっているんだけど、まあ消えていくかもしれない。僕はそういう中でもう、まさに一番尖ったベンチャーというか、建築の新しい可能性の種みたいなものを考え出しては建築の形にして提案していきたい。提案はするけどすぐに実現するかどうかは分かりません。それでもそういう役割は必要だろうなと思います。分からないのは、これから例えば10年とか20年とか経った時に、それでもまだそういう意気込みで僕はやれているのか、それともある程度成熟して自分のスタイルみたいなものができてきた時に、上手い事ハンドリングし始めちゃうのかということです。例えば日建設計にしても、大きな建物は大きな信用の上に成り立っているから、そこでいきなりベンチャーを始められても困ります。そうすると役割としては、ある程度確立されたものに根ざしながらも、彼らなりのチャレンジはするけれど、一番根っこは揺らがしてはまずい訳です。そういう時に、今僕たち40代半ばぐらいなので、まだまだ1番コアな所の最先端を切り開いていきたいというのはあるんですよね。そういう意味では、僕は、建築家の役割というのはいろいろあるけれど、ある部分ではコルビュジュエの時代にコルビュジエがしていたこととあまり変わっていないのではと思っています。いろいろ試みていたことのほんの幾つかが、あるいはそれがが総体となって緩やかな流れのような形で、50年ぐらい経ったらそれがある種の、1つのスタンダードになり得る訳です。だから僕はそういう社会的な意味で、未来を切り開くという意義は、自分の個性の中で切り開くというよりは、社会、この時代においてこういう人間達がこういう気候の中で生活する時に、こういう可能性があるのではないかということを社会に提示していくことが役割だと思います。

平沼:そしたら次に、トイレのスタンダードの話しをお聞きしたいと思います。(笑)

藤本:トイレいきますか。(笑)これは正直に言うと、さきほどの芦澤さんの質問に関連していますが、ある意味ではトイレの一番根っこを切り拓いているんだけれど(笑)でも同時に、ある社会的な状況に対して、サービス精神を持って、建築によって出来事を作るのもまた1つの楽しみなんですよね、そういう側面をもったプロジェクトでもあります。公衆トイレは建築のひとつの根源です。つまり、公衆はパブリックということですが、トイレは一番プライベートな空間でもある。それはとても不思議な両義性です。当然オープンにできないですが、でもクローズドのままでいいのかという問題もあります。ここはたまたまこういう風景が綺麗な所なので、じゃあ自然と建築の関係も、小さいだけに一番コアになってきます。
まあだいたい、トイレをつくってねと言われたら、トイレから一番遠いものとは何だろうかと考えますよね。まあまずは皆さんそうしますよね。トイレは壁で囲われているので、壁じゃないものがいい、でもガラスばりのトイレというだけだとは結構ありがちなので、その先に行けないかと考えました。

平沼:近くに電車が通るのですか?

藤本:小湊鉄道というローカル線があり、とても美しい風景の中を走ります。この周りも春になると、この辺は菜の花畑で真黄色になり、本とかの表紙に載るようなすごく有名な駅です。そこのトイレが古くなってきて使えないので、新しいトイレにしたいというのがまず1つありました。この市原市はアートのまちとしてこれからプロモートしていきたいというのがあり、北川フラムさんという、新潟の大地の芸術祭などをプロデュースしていたアートディレクターの方がディレクションに入っていました。そこで、藤本君ちょっとトイレやってよと頼まれて。公衆トイレって、ずっとやってみたかったんですよね。しかも便器が一つというある意味究極のトイレ。いつも建築をつくる時は、世の中の人が思い浮かべる、記憶の中に思い浮かべられるような、そういう建築にしたいなというのがあるんですよね。美術館といえばあれだよねとか、公衆トイレといえばまずあれを挙げないとだめだよねとか、先日僕の設計した武蔵美の図書館が、世界の最も美しい20の図書館というのに選ばれていて、そういうのって嬉しいですよね。図書館といえばまずあの武蔵美のやつは絶対思い浮かべるよね、みたいな。そういう建築を作りたいという個人の願望があります。あるいみでは、とても根源的だけど、でも新しいタイポロジーを切り拓いている、そういう建築のことだと思うんですよね。そこで、否が応でもこれが頭に浮かんじゃうみたいなものにしてやろうぜみたいなことで、これ以上いけないくらいのトイレにしようと、こうなりました。

平沼:プレス発表の時だったと思うのですが、僕がたまたま飛行機で新聞を開けると、藤本さんがトイレに座っていました。(笑)

藤本:座らされました。(笑)一時期、悪名高いフラワーポットがたくさん並んでいる写真が出回っていました。今は草が生えているのですが、オープン当時は当然草は生えていないので土だったのです。市役所としては、土だと様にならないということで、前日に、小学校とかにおいてある白いフラワーポットにパンジーか植わっているものを大量に持ち込み、綺麗にしてくれましたが、逆に建築家からすると、あり得ない状況になっていました。
>>続きへ


| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | NEXT