平沼:どんな高校生で、どうして東京大学へ進学を決められましたか?

原 :僕の父親は洋服の仕立て職人だったんです。その時代はサラリーマンじゃないって事がものすごく大変な生活でした。その時に、公務員の試験を受けると受かった訳です。郵便局に行けるとおふくろに言ったら、もうこんないい事はないってすごく喜んでくれて。だけど一回、大学受けさせてくれないかって訳で、東大だったんです。一回しか受けないと言って、受かって、それで行ったという経緯です。
 学生時代はですね、非常にいろんな事で遊んでいました。特に当時は音楽喫茶というのが渋谷にございまして、それ以来ずっと渋谷に住んでいて今に至る。渋谷のいろんなお店で勤めている人たちよりもずっと僕の方が古いし、いろんなお店が出来はじめた頃から知っているような感じです。僕は、寮にいたんだけど、その音楽喫茶へ先に行って席を取るわけ。それで、いろんな学校へ行ったり、アルバイトやったりして、夜中に帰ってるわけね、その席に。それでも文句も何も一つ言われない時代だった。

平沼:えっ。その時間に席はどうなっているのですか。

原 :誰も座らせない。(笑) 大体その店をやっている人たちのレコード係とか何かとか、ものすごく仲がいいから、その女性が全部注意を払ってくれてね。そういう時代なんですよ。

平沼:原先生の事が怖かったわけじゃなくて、そういう配慮があったって事ですね。

原 :うん。そういう時代ね。今だと信じられないらしいね。
だって、一緒に飲みにいってお金を払うなんて出来ない時代。でも毎日飲みにいって自分で払った事なんて一度もない時代。

平沼:えっ、誰が払ってくれるんですか。

原 :誰かは知らないけどさぁ。(笑) あの人たちからとるから大丈夫だよって、だれも取らない。

会場:(笑)

芦澤:別の人につけてくれるわけですね。

原 :つけとくっていうか…。そういうことが、おおらかな時代だったのかな。

平沼:そもそも原先生は、数学にとても深い知識を持たれていますよね…。

原 :いや、それは嘘だよ。(笑) 最近はね、その噂を訂正しているんだけど。でも数学はものすごく重要だよ。今だと、優秀な数学者の人たちがちゃんといろんな事を数学で解説してくれる人がいるのかな。あるいは、そういう本が出されているのかもしれないけど、非常に重要なの。なぜかっていうと、例えば、幾何学一つとると、今から2000年くらい前まで、ギリシャの時代から2200年くらい、ずっと休眠状態で止まっていたわけですよ。誰も2200年の間、新しい幾何学があるなんてある事を誰も考えなかった。

平沼:なるほど。

原 :そしたら、突然、ガウスとかリーマンとか天才が現れてね。そしたら最近、新しい幾何学の世界があるんじゃないかとやりだして。それから200年の間、数学者が全世界と縁を切って、今の建築がどうだとか、全てお構いなし。関心なくって、世界中の連中が秘密結社のようにね。ものすごい高度に200年考えた。これはすごい事でね、歴史上かつてないんじゃないかと思うんですよね。それがね、すごい成果をあげているのだと思うんだけど、それを解る人がいないんだよ。僕は少なくとも理解者になりたいと思ったのだけど、難しくて、難しくて。

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