平沼:もう1つ、先ほど子供部屋のあった使い方の説明をされた時に、建築が家族をつくり、家族が建築をつくっていくっていうお事に感動した。建築と人との関係ってどういうふうになっていく事を望んで設計されていますか。

難波:僕の体験でいえば、クライアントが事務所に来るときには、皆「箱の家」について勉強しています。中には「箱の家」に合わせて敷地を選び、プランまで描いてくる人もいます。しかし、設計が進むにつれて、クライアントの考えが変わっていきます。そして、設計がまとまり、工事契約する頃には、最初に会った時とは別の人になっています。さらに、建物が完成し、住み始めて1年後にも、まったく違う人になっています。そのプロセスはシンドイけど充実した経験だと思うのです。それまでの自分を否定し乗り越えていく作業ですから。でも、そのような経験こそが、住宅設計の重要な意義だと思います。僕はそういう作業を受け入れることができる人の住宅を設計したい。僕の経験では、そういう包容力のある人はエンジニアが多いです。逆に、住まいとともに自分が変わることに抵抗がある人は、ハウスメーカーの住宅でいいでしょう。住宅設計の面白さは、クライアントも設計者も共に変わっていくことにあります。その事が、僕が池辺陽から学んだ最大の教訓です。

芦澤:設計者として、難波先生ご自身も変わられて行くっていう事ですか。

難波:もちろんです。すべての条件が、完全ではないから、建築家もクライアントも進化するし、住まい方や技術も進化していく。

平沼:これからの都市空間はどうなっていくべきでしょうか?

難波:都市空間については、もはや60年代のように都市を計画するような時代ではないと思います。2000年に大学の先生になった時、建築学科で都市の問題に関する議論が沸騰していることにびっくりしました。それは、都市がどうしようもない状態になったからではないでしょうか。磯崎新は1970年に都市を去ると宣言したけれど、95年には都市に戻ってきたといってます。、安藤忠雄、伊東豊雄、石山修武らの「野武士の世代」は皆、磯崎を追って都市から逃走し去ました。しかし再び都市論が回帰している。しかし、もはや都市をコントロールすることはできない。だから、議論はするけど、実践には結びついていない。

芦澤:建築家のアクションが具体的になかなか反映されてないですよね。

難波:反映されるわけがないのです。都市に関する議論は可能ですが、実際にできることは、目の前の一つ一つの仕事に取り組むだけです。そこで精一杯都市との関係を考えるしかない。集合住宅も戸建て住宅も、今やすべて民間化されている。だから、実質的に都市をつくっているのは森ビルや三菱地所などの大手ディベロッパーです。最近のネットニュースで、虎ノ門ヒルズの周りに4本の超高層ビルが計画され、インゲンホーフェンやレム・コールハースが参加していると報じられていました。オフィスビルや集合住宅です。要するに、都市は民間のディベロッパーが変えていくのです。

平沼:なるほどね。では、次をお願いします。

難波:「箱の家」124番です。この住宅では、スイスで開発されたPSパネルヒーターの輻射冷暖房の測定を行いました。幅1.5m高さ4mのパネルに露受けを付け、2年間、冷暖房の効果を測定しました。その結果、輻射よりも対流の効果が大きいことがわかりました。正方形プランを斜めにカットしているのは、敷地に対して方位が45度振れてるからです。子供と親のゾーンをL型の棟に分け、その間を吹抜けにして、南側に庇を付けています。「箱の家」の図式をやみくもに敷地に当てはめているわけではありません。このように、敷地条件に対してそれなりのレスポンスをしていることが分かってもらえると思います。環境研究室との共同研究で室内環境のデータを取り、まとめて雑誌に発表しました。それを見たディベロッパーから、環境共生住宅プロトタイプの開発を依頼されました。4戸の建売住宅です。この計画は大学の研究室で行いました。

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