樋口:その中でリリーが出てるのは11巻、15巻、25巻、48巻。

芦澤:覚えているんですか?

樋口:当然です。見てください。場所では沖縄を語ります。これは長崎に落ちた原爆です。B-52、未だに多分世界最大の大きさの爆撃機、ものすごく大きい、飛んでくると影ができる、こういう風に今でも飛んでいます。沖縄で感じたことはね、さっき、時と場所をいいましたけど、ベトナム戦争末期です。1970年から75年ぐらい。そこにいる重村先生なんかと一緒に、彼なんか情熱っていうか、発情してたね。興奮して、僕たちもそうですけど、こんなところがあるのかっていうくらい面白くて。コザ、今の沖縄市ですけど、人殺しに行く人々がいる。すさむよね。ゲート通りで右側に黒人、左に白人がずっと並んでにらみあう。ウエスト・サイド・ストーリーみたいにね。コザ市民は爆撃機の騒音の中にいる。日本にいると、戦争っていうのはちょっと遠いですけど、朝日新聞とか見ている人は、戦争あるいは反戦を抽象的に語る。でも、彼らはライブの中にいるんですね、沖縄はベトナム戦争戦時下にあったんです。基地がフェンスで囲まれていて、今度も米兵が女の子を殺してだいぶ問題になってますけど、今でもフェンスの中はアメリカなんです。日本じゃない。そのころはすぐ犯人を本国に帰して知らん顔。簡単なことでフェンスが国境、立入不可。このような環境が建築に影響しないはずがありません。そういう中でさっきの矛盾の話で、アメリカが持ち込んだコンクリートブロックが沖縄で流行する。サンゴ礁、石造のイメージだろうね。

芦澤:サンゴ礁をイメージしたんですか?

樋口:これね、元はサンゴ礁の砂なの。日本のコンクリートブロックとは違う。元々の昔のブッロクはね、美しいんだけど塩分が入っていてすごく弱いんですよ。風化していい味がでるけどね。

芦澤:あー、はい、はい。

樋口:これは佐久川君って沖縄にいる、僕らのグループの一員が作った住宅。

芦澤:沖縄に最初に行かれたきっかけっていうのはなんだったのでしょうか?

樋口:最初ね、沖縄コザ市のこどもの国。南方同胞援護会が、僕たちを復帰前、仕事を依頼した。復帰を前後して僕たちは10年余沖縄と付き合うんですけど、さっきのをもう一回いうと、時代と場所が建築をつくる。今やったらああはいかない。北部の田舎の方へ行くと、こういう風景、墓、緑濃き集落が展開します。かっこいいでしょ? これは普通の民家で、今時はもうなくなってきてますけど、ヒンプンってのがあって入口をさえぎっている、非常に独特な家構え。これが、僕たちが今帰仁公民館をやる発端となった字公民館。日影がいっぱいありますね。日陰って、柱一本でも役に立つ。じゃあ、なんでもっとたくさん日陰を作らないのかってこの写真を見せる度に言われるんだけど、ただいっぱいつくっても面白くもなんともないでしょ。こういうところにふっと出てくるのが面白い。海。これ、僕たちこの時、ここに今来てる重村君とか、亡くなっちゃった地井昭夫君、それから大竹康一等、皆で。吉阪先生の影響も大きいんですけど、三つの言葉を使います。潜在資源の発掘、これかっこいいでしょ? 発見的方法。逆格差論。この三つをキーワードに使って、地域計画をやってます。その頃は象だけじゃなくて象グループとも呼ばれてまして、巨大なうやむやな、曖昧な、それこそ誰が象で誰が象じゃないのかわからないみたいなグループとして活動した。僕はそれも時と場所だと思うんですけど。今はできない。これは公民館をやるとき、例によって、僕たちはやたら外を歩くのが大好きです。フィールドワーク。これは丸山欣也さんっていう僕と同い年のがやるんですけど、一人ですべての集落、今帰仁村にある字(あざ)、19かな?あったんだ。全部回って全部調査するっていうね、クレイジーな人がいてね。中央公民館は字公民館の親分、だから字公民館をたくさん集めた形にすればよい。字公民館にはまわりに列柱がはりめぐらされている(アマハジという)。集めるともう列柱だらけ、列柱しかない。

芦澤:あぁ、それで列柱なんですか。

樋口:そうだよ。

芦澤:そういうことですか。

樋口:これ僕が描いたスケッチだけど、「爆弾」っていうんだけどね。これは「女燃えて赤花になる」。列柱を真っ赤にする。田舎にいいかどうかわかんないんだけど、沖縄って考えたとき、やっぱり緑と赤みたいな対立する緑と赤。この時も偶然が作用して予算がなくなっちゃって、屋根断熱で、植栽しようっていうんで。なんでも計画通りにやってるわけではないんだよね。うまいこと行くときはうまいこと行く。これは最初の頃の写真。今はね、残念だけど全部台風で飛んだり、枯れちゃったり。やっぱ建物っていうのは、持ってる人が活かしてかないと死んじゃう。建築家がよく長持ちするとか言うけど、建物っていうのは長持ちさせるのは、それを使う人たちで、建築家じゃないんだよね。だから残念だけど、これは今のところ死んでる。半分ね、三分の一か。名護市庁舎の半外部、アサギテラス。このときはブーゲンビリアを使って販売部を覆う。海に面する方にはシーサーがいる。平面はこんな感じ。街に面する方はジグザグした形。海側は一直線。
曖昧模糊。境界の話をします。埼玉県の宮代町の風景。斎藤甲馬という町長なんですけど、この人がいて我々の建物ができてくる。やっぱり人との出会いがあります。この人は、超保守って僕らは呼んだんですけど、例えば学校給食なんか真っ向から反対する。弁当ぐらいかあちゃんが作れ!っていうね。これは超保守です。
僕らがやったいわゆる半外部。それで今日もう一つ言いたいのは、建物っていうのは、外と内を壁かガラスかなんかで一重で分ける、それをやめましょう。半外部っていう、第三の空間をつくる。まず柱を二列にする。壁を一つじゃなくて柱を二列にする。これが設計のスタート。建築は埋めるか、柱を二列。今日帰ったら即座にこれ。そしたら全部名建築。コルビジェのピロティと一緒。屋上庭園。この街でもう一つ偉いのは、役所が建ってたとこを庭にしちゃう。これも20年ぐらい経ってから、ありがたいことに僕らがまた頼まれて計画した。境界の話、建築の境界だけじゃなくて、例えば男と女とかいろいろあるんだよね。国境とか、知人、家族とか、そのとき境界を一つの壁でくくるんじゃなくて、例えば男と女なんか、いいじゃないの男でも女でも、間でも、っていうね。間(あいだ)を作る。家族でも、この頃家族っていうと子供とかじいさん、ばあさんだけだけど、いいじゃないの他人が入っても。っていうのを作る、それが半外部。あいまいな空間。これ、ブドウ生えてる。きれいでしょ。

芦澤:綺麗ですね。

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