香山:基本的にそうですね。現場が始まってから3年ではありませんけれども、本当に長く、途中で何遍も直していますね。

芦澤:途中で壊したりしていましたか?

香山:していたかもしれないね。この時とりわけいっぱいやり直したと聞いていました。ただ僕が行ったときはもう出来上がっていましたからね。

芦澤:なるほど。

香山:次はアメリカの名門ブリンモア女子大の寮ですが、これは現場を見に行ったりしました。このスタディは学生に見せたやつですけど、窓というのはどうだとか、壁とは内側の壁と外側の壁がどう違って、それによって光がどうなるかということを、僕たちと議論して示しながら書いた図で、そういうことを具体的に示してくれました。この写真だけだとちょっと分かりにくいかもしれませんが、暖炉が西向きにあるんです。これが暖炉の煙突で、向こうに外の景色が見える、これはカーンがよく言ったのでよく覚えているんですね。アメリカのペンシルベニアの冬は寒いので日が沈むとそこに家族が皆集まる。子供が学校から帰り、仕事場から親が帰ってきて火が灯った暖炉の前に集まる、その時に一番何が素晴らしいか、それは夕日ですね。そこに夕日がさす、そういう暖炉にするのが、暖炉の喜びを一番伝えることではないかと言って作ったのがこれです。だから煙突は壁からはなれて外にあるんですよ。煙突の手前の内側にガラス窓があるので、ちょうど西日に面しているから日が当たっている。これはロバート・ヴェンチューリを有名にした母の家という建物がここから2軒くらい先にあるんです。それでロバート・ヴェンチューリのところにたまたま遊びに行った時に、「おいヒサオ、ちょうど夕日が沈むぜ、そこに行って夕日を見よう」と言われて行ったんです。エシェリックと友達でしたからね。これはその時の日が沈んだ時の写真です。

芦澤:僕も行ったんですけど中に入れなくて、外からずっと見ていました。

香山:少し話が飛びますが、アメリカで2年程働いた後、ヨーロッパに行きました。最初ロンドンのデニス・ラスダンのところで働いて少し金を貯めて、それから8か月ただただ野宿しながら旅行しました。例えばこれはフランス、プロバンスにあるル・トロネ修道院です。中世のロマネスク時代の建物で、手仕事で修道士が作ったんです。その窓に差し込む光をカーンがフランスに行くなら是非見ろと言った。今は保存され綺麗になっているけどその時は廃墟になっていて探してようやく見つけました。それでここにテントを張って、その時女房はお腹が大きくなって日本に帰しちゃったから、僕は自由に1人でここに泊まりました。そんな勉強をしたということです。その時の絵、下手だけど気持ちが出ていると思います。というようなことで日本に帰ってきました。これは日本に帰ってきて作った九州芸術工科大学です。その時はカーンのところでThe Roomという人間を包む空間の単位をどう組み合わせるかということが念頭にあったので、それがもろに出すぎているかもしれない。だけどこれを作ったとき、芸工大の1期生2期生は高校を出たばかりの学年で最初は1学年しかなかった。それが一緒に手伝って粘土の模型を彼らが作ってくれたんですよ。立派だし、そういう機会もよく与えられたなと思いました。大きな中庭がある方は中庭から段階的にいろんな人が集まる空間が連続的に広がるという形をテーマに作りました。

芦澤:普通、建築家の初めは住宅とか小さいものから始まるのですが。

香山:そういう意味ではラッキーだったかもしれないね。その時の学年の学生たちは僕にとっては教え子というより仲間というか兄弟分という感じです。その後、東大に来ました。東大に来たときに何が起こっていたかというと、どんどん古い建物を壊していた。東大を再開発して新しくしなくてはいけないと。何を考えているんだと思いました。ケンブリッジやオックスフォードでもハーバードでも、大学を新しくするために建物を壊すことは滅多にない。しかしその時の東大はキャンパス全体の移転ということを考えていたんです。だから歴史の稲垣先生って亡くなられましたけど、稲垣先生から、これはおかしいから香山さん、壊さないでも上に増築する案作ってよと言われて作ったのがこれです。

香山:下は戦前に内田先生が作った、ネオゴシックの形です。この屋上に増築するというのなら皆はこのゴシック風の柱を上に伸ばすと思った人の多かった様ですが、いやそれでは漫画になると私は言ってそれでこういう風に鉄骨をコールテン鋼で包んだ建物を乗っけたわけです。これがそのアイソメです。ですから構法的には上手くいって、使いながら上に乗っけました。これは設計料貰えなかったよ。ははは。

平沼:無償ですか?(笑)

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