平沼:はい。(図)これがアクセスですよね。

五十嵐:お客さんは、受付でチケットの代わりに座布団をもらいます。その座布団をもってチューブをくぐり、好きな場所にその座布団をひいて見るという。材料としてのアイディアとか、場のつくり方のアイディアっていうのは、実はこれより前に出したアートのプロポーザルからきてるんです。そのとき採用はしてもらえなかったんですけど、北川フラムさんから手紙をいただいて、面白いけど今回はこれを実現する場所がないんだと。そのときの案は、立体的なビニールのキューブをつくって、そこに水を流し込んでウォーターキューブみたいなものをつくろうと。それをただ畑とか拠り所のない場所にポンと置くと、そこに人の拠り所になるような居場所がつくれるんじゃないかというものでした。拠り所というのは、「矩形の森」というワンルームの住宅をつくったときの重要なテーマになってます。僕この話をするときによくミースのファンズワース邸を例えに出すんですが、ファンズワース邸というのは、フレキシブルでユニバーサルな住宅だと言われてますが、キッチンの裏側に暖炉があるんですよね。暖炉があるってことは、ミースは無言でそこをリビングにしなさいと言ってるわけですよ。フロアとしては柱も全くないし、ある意味では自由に見えるんだけども、僕には無言でその空間を強制しているように見える。もちろん素晴らしい建築だと思うんだけれど、若干違和感を感じたんですね。逆に「矩形の森」のときは、僕ら不自由な柱って呼んでるんですけども、不自由な柱を邪魔なくらい置くことによって、逆に自由な状態をつくれないかというテーマがあったんですね。それを拠り所と呼んでます。場所については、建築の形状を考えると屋内がいいだろうという主催者側からの要望でこの場所になりました。大阪の南港にある大きな倉庫の中です。(図)入り口から入ると(図)こんなふうに存在してました。

平沼:僕、五十嵐さんから、大坂現代演劇祭仮設劇場が竣工したというご案内をいただいて、見させていただいたんですけど、やっぱりアクセスの仕方がすごくおもしろくて。さっきの前とか後ろっていう存在のあり方が反転したようなランダムなアクセスにされていて、なんだかすごく新しいなって感じた記憶があります。
これ金沢21世紀美術館より前ですよね。

五十嵐:そうですね。全然前です。

芦澤:五十嵐さんは、矩形の森のお話もされていて、けっこうこうあいまいな状態をつくられようとしながら、比較的幾何学をきっちり使うなぁという印象があって・・・

五十嵐:はい。

芦澤:その辺の意識というか意図というのはありますか?

五十嵐:それは意図ではなくて、恐らく癖なんですよ。複雑な形がどういう判断でそこに落ち着くのか、未だに僕にはわからなくて。理由がないことに腹が立ってくるんですよね。最も必然的な形に落ち着いてくるはずなんですよ。その必然的な形というのは、僕の中での必然的な形なんですけどね。それでここでも迷わず正円を選んだんですけどね。

平沼:バルーンで部屋をつくっていくとき、どのあたりにこだわられましたか?

五十嵐:まずバルーンをつくれるところをネットで探して、草間弥生さんや村上隆さんの風船の作品をつくられた会社を見つけました。かなりの数のモックアップで検討をした結果、形状的にもコスト的にもこれが一番いいんじゃないかと。僕は身体をねじ込まないと入れないような細さにしたかったんですけど、主催者側からは、割れたりすると困るからもう少し動きやすいものにしてほしいという要望が上がってきたんです。いろいろ試す中で足元が動くとかなりスムーズに入れるということがわかったので、足元にバネみたいなものを入れて、こういうディテールになりました。このバネは、よくケータイストラップに使われてるものなんですけど、施工者が見つけてきてくれたんです。客席とステージについては、とにかくフラットにつくりたかったということと、ライン一本で意識を変えたかったんです。例えば子供の頃、自分の家の前の歩道にチョークで間取りを書いたりしたじゃないですか。わけのわからない間取りを(笑)。それを「自分の部屋」とか「自分の家」って言うと、チョークの線を超えにくい心理になるというかね。物理的には超えれるんだけど。

平沼:言いましたよね、「入っちゃだめ」って。

五十嵐:そう(笑)入っちゃだめってね。そういう状況をつくりたかったんです。

平沼:五十嵐さんは「矩形の森」が処女作でしたっけ?

五十嵐:処女作ではないですね。デビュー作なんです。僕が30歳のときかな。僕は25歳くらいで独立したので、その間もいろいろつくってたんですけどなかなかうまくいかなくて。芸能人じゃないのでデビューっていう言い方も変ですけど、初めて雑誌に載せてもらった建物が「矩形の森」です。ちなみに処女作はこの写真の左の建物で、五十嵐組という建築会社の社屋です。これが24歳か25歳のときにつくった建物ですね。

平沼:そうでしたか。

五十嵐:それまでは札幌にある普通の設計事務所に勤めていたんですけど、五十嵐組の事務所を建て直すって聞いて、設計をさせてくれと無理を言って。その後すぐ佐呂間に引っ越したんですね。勝手に設計し始めて、積算からすべて自分でやって、親にプレゼンテーションをして、3案目くらいでやっと承諾を得て建てたのがこの写真の上の建物ですね。これが処女作なんです。この頃は本当にわけわかんないで設計してましたね。いまでもわからないんだけど(笑)。条件として2×4で建てろとか、当然コストのこともいろいろ言われて、僕なりに一生懸命考えた結果なんだけど、いま見ても癖についてはあんまり変わってないですね(笑)。反復してたりシンメトリーだったり、こういうのは一生付きまとうんだと思います。

平沼:はい。

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