平沼:う〜ん。建築を考える際に、思想、哲学、文学など、他の分野から、影響をうけることは?

山本:ええとね、講談社から来年四月に本が出るんですけれども、岩波出版の「思想」っていう雑誌を知ってます?あんまり読まない…? 昔僕らが学生の頃はかなりみんな読んだんですよ。真白い表紙で、哲学、社会学、人文学の方の本なんですけどね。そこに連載したんですよ。「個人と国家の間を設計せよ」ってすごい勇ましいタイトルで、それが今度本になるんですが、何について書いたかっていうと、ハンナ・アレントって思想家がいて、ナチの時代にドイツからアメリカに亡命して、たくさんの本を書いた。「人間の条件」て本と、「革命について」っていう本。それと「全体主義の起源」、「エルサレムのアイヒマン」という本。読んでみて本当に驚いたんですが、彼女は空間について書いているんです。ところがそれを読む人々はこれを空間だっていうふうに認識するのが難しいんですよ。で、僕はそれを、空間的にはこういう意味だっていう風に書いたんです。それは、今の集落の話も書いたし、一方でギリシャのポリスの話が中心なんですよね。それは「思想」で読んでもらえれば。1月号2月号3月号、それから7月号9月号に連載が出ています。それで、ほぼ同じ内容のものが、来年の4月に講談社から出ると思う。そういう意味では、ハンナ・アレントという思想家にすごく影響を、猛烈に影響を受けていますね。

芦澤:昔から受けられてたんですか?

山本:昔はこんなことを言っているとは思わなかった。読み始めたらすごい人だってのが分かって、横浜国大の授業で僕がブログを書き出して、その解説をずっと書いていたんですよ。それが元になって書いたんですよ。だから5、6年…もっと前か。是非おすすめします。

平沼:建築家には…刺激を受けた方っておられました?

山本:やっぱりいろいろずーっと見ていて、昔からコルビュジェは好きでしたけども、もう一回コルビュジェをみると、やっぱり、すごくいいなって思いますね。特別な人だっていう感じがしますね。ああいうヒルベルザイマーがつくっている住宅に対して、コルビュジェはああゆうのが一番嫌いだったんですよね。ほぼ同じ時代ですからね。どうやってつくっていくかっていう風に考えていた。コルビュジェも、例えばユニテにしたって全て成功してるわけじゃないと思うんですよね。うん、相当特別な人だって感じがしますね。

平沼:山本先生にとって建築って…。

山本:さっきも話題に出ましたけどもやっぱ建築って影響を与えちゃいますから、我々が考えてもいないところで。だからその影響を与えちゃう責任ってのがきっとあるんだと思うんですけどね。つまんないものつくっちゃえばつまんない影響与えちゃうだろうし。でも一方では仕事ですから。

平沼・芦澤:ああそうですか、そうですか(笑)

山本:うーんそうでしょ、二人だってそうでしょ?それ、続けないと食えない、生きてくために。

平沼:そうですね、生きるために。なるほど(笑)

山本:これ愚問ですよね。(笑)

平沼:(笑)今後どんな建築をつくりたいと、お考えですか?

山本:その都度、新しいのをつくりたいと思っています。とにかく場所に合わせて、場所と一緒に考えられるような建築が出来たらいいと思っていますけどね。

平沼:はい。ちょっとこの辺で会場から。とっても時間が延長してしまいましたが、お二人くらい、ご質問いかがですか。

会場1:楽しいお話しをありがとうございました。質問ですが、さっきの天津の図書館は初めて見させていただきまして、すごく斬新で感銘を受けました。そして先ほどの建築家自体の役割がっていう話、例えば東京都庁を丹下さんが建てられました、っていうその建築と行政のあり方が、なぜ、その進化形を建築家自体が嘆くような形になっているのかっていうのが、私には解せなくています。これから日本で今の東京都のシステムが進化していったときに、どんどんつまんない建築が増えてくるという感じを建築家の方たちは持たれていますか?

山本:はい。もっていますね。要するに建築家の作品、建築家の責任において建築をつくるっていうつくり方ができにくくなってきていると思いますね。例えば、国立競技場にしても、ザハ・ハディドが基本設計をやったんです。そのあと、いくつかの組織事務所やゼネコン設計部の人たちが実施設計をやって、それから工事が始まってくという。あの建築は誰の作品か、もう、わからなくなってますでしょ。ザハの作品か?といったとしたら、あれほどひどいザハの作品は今までにないですよね。

会場1:建築に精通している人であろうが、全くのド素人であろうが、これまでの彼女の作品を見たときに、ああいうエッジの効いた建物の方がいいよねっていうのは、誰がどう議論しようが、ちゃんと落ち着くところに落ち着くと思うのです。それが、なんでまた建築の先進国であると思われる日本で、なんでそこに着地したのかっていうのが、にわかには信じられない感じがします。

山本:一言でいうと、この何十年間、この日本の国ってのは官僚制の力がますます大きくなってきていて、公共建築は官僚制的な制度の中でつくられています。だから、土木工事とほとんど同じように、建築もその方が性能のいい建築ができると思い込んでいる人たちがいるわけですね。より良くなると。建築家が全部つくったらどうなっちゃうか分かんないけれども、組織が入ってきたりすれば、もうちょっと性能の良いものになるんじゃないかと。あるいはゼネコンの技術力を使えば良くなるんじゃないかと。建築家よりもそういう技術力を持っている方につくってもらった方が良いんじゃないですか、という風に思っていると思う。瑕疵、欠陥のない建築をつくることを目的化しようとしている、ということだと思います。欠陥のない建築をつくることを目指すのだとしたら、過去に官僚制的につくってきた建築を繰返し繰返しつくっていくことが、最も欠陥を排除できるんですよね。

会場1:東京駅を元あった形に復元しているのを見て、その動きを見たせいで、全ての建築は良い方向にむかっているんじゃないかと思っていたんですけど…

山本:ますますそういう大規模建築とか、国家を担うような建築が、そういう形で欠陥のないものをつくろうとするので、匿名的な建築にこれからなっていく可能性の方が大きいですね。

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