藤村:これはある種既存のメディアの人に対する挑戦みたいなところもあって、情報を目の前でつくって見せる事によって、メディアとか情報ってこうやって発信するんだって事を周りの人達に見せながら、「皆で情報発信していこう」という呼びかけでもあるし、あるいはこういう発信をして人を動かす試みでもありました。インターネット上のソーシャルメディアと紙メディアってこの頃どんどん離れて行きつつあったんですけど、それをもう一回繋ごうじゃないかという事を話し合っていました。ライブ版のフリーパーパーも、1時間で組んだ割にはどの記事もちゃんと見出しもついて図版も並んで、しっかり著者校正まで済んでいる(笑)。その場でちょっと前に起こっていた事が文字になるというのは、中々刺激的な経験だったんです。
これが発展していって、次にやった事はこういうスキルを持って全国を回ろうという事で、北海道から関西から、広島、福岡とかいろいろ回って同じ世代の人達に声を掛けて、ひたすらシンポジウムするということをしていきました。関西の回での話し相手は柳原くんとか香川さんとか、家成さん達とか山崎亮さんですね。この時は山崎亮さんが、今みたいにブレイクするちょっと前で、建築の人に対するもの凄い敵意のようなものを表明して。「お前らは金持ちの手先になって自分のやりたい事をやってるだけじゃないのか」と吠えておられて(笑)、自分の事務所では年間企画書100本書くみたいな事を言っていてインパクトがありました。
広島では谷尻誠さんが会場を用意してくれて街の中で議論をしたりとか。福岡の井手健一郎さんが用意してくれた会場はデパートのアトリウムでした。彼らは建築の議論を一般に開かなくてはいけないという意識が強かったです。逆に彼らを東京にもお呼びして家成さん達に来てもらったり山崎さんに来てもらったりして、また「LIVE ROUNDABOUT JOURNAL」では漫画家の人に建築家のレクチュアを即興で漫画にしてもらうとか色んな試みで伝え方も実験したりして。
そういう事をいろいろ試して、本にまとまったのが「1995年以後~次世代建築家の語る都市と建築」というインタビュー集です。この頃は「1995年以後」というタイトルはついているんですけども、まだ結論はついてないですね。95年以後に建築を始めた人達とひたすら対談しているだけで、それが何だとはまだ言わない。そういう意味ではオープンな本です。
最初は部活のつもりで始めていたことが、だんだん仕事になってきて、よそから呼ばれて展覧会をやって下さいとお呼び頂くようになったんですね。その内の一番本格的だったのが、2009年の秋に大阪工業専門学校で行なったワークショップと展覧会です。「1995年以後」というテーマで宮本佳明さんとか梅林克さん、五十嵐太郎さんにも加わって頂いて、歴史的な視点も入れながらシンポジウムもやりました。
その後「ART AND ARCHITECTURE REVIEW」というウェブマガジンを始めるようになったり、商業スペースで展覧会をやって下さいって言われてやるようになったり、どんどん依頼されていろいろなメディア活動をやるようになっていきました。最初は自分達のための部活というつもりだったんですが、段々仕事になって、面白いんですけど巻き込まれていくというか、そういう感じがあったんですね。
そうした活動の一つのピークは「CITY2.0」という展覧会です。磯崎新さんをお呼びして、この頃から同世代だけじゃなくて世代を超えて議論しようということでだんだんと歴史的な参照を始めていきました。藤本さんとか、近い世代の建築家とは話が合わなくても、磯崎さんまでいくと不思議と話が合うんです。たぶん2010年代と1960年代は時代状況が似てるいんだなって事がなんとなく分かるんですけども、このころはまだ歴史的な視点でちゃんと説明出来てないような感じでしたが、磯崎さんに来て頂いて「孵化過程」のパフォーマンスをしてもらったりしました。この頃はキュレーターとして色んな活動を積極的にやっていたなと思います。

芦澤:こういう活動をしている時、建築もつくっていたんですか?

藤村:この頃は先ほどの「BUILDING K」の現場をやりながらだったと思います。

芦澤:その辺の建築の活動とメディアの活動っていうのが、当時は絡んでいたんでしょうか? それとも全く別活動というか。

藤村:全く別でしたね。休日に活動をするんですけども、平日は建築の現場で、例えば現場で問題が起こるとみんなで輪になって監督さんどうでしたっけとか、金物屋さんなんかありましたっけとか、私がファシリテーターをやるという意味では似ているといえば似ていますけども、メディア活動と建築の設計は全く別の仕事ですよね。それらはこの時点ではまだしっかり統合出来てなくて。もう少し後のことになります。ただ、自分の中で、建築をやってそこで浮かんでくる疑問をこっちで発散するという関係はあったと思うんですが。

平沼:建築家の役割って、僕達も含めて、皆どの世代も考えてきたと思うんです。今みたいな事例を藤村さんが言って下さったのが分かりやすくて、どんな役割を担って行くべきなんですかね?

藤村:それはそれぞれが自分の役割、立ち位置を考えていくしかないと思うんですが、私は東京の郊外の育ちであって、その拡大しつつある都市の郊外という場所に生まれ育ったので、それが近代化の終わりに縮小していくなかでそこで起こっている様々な課題に対してどういう解決があるのか?とか、そういう事が自分のテーマなんだ、というおぼろげな課題設定がこの頃に成されてきたんです。ただ、その頃は郊外化といっても「まぼろしの郊外」とか「ファスト風土」とかそういう社会学的な議論が盛んになされていたのをフォローしていたに過ぎないので、郊外都市の課題を具体的にどう解決していったらいいのかについてはまだ手がかりは全然なかったですね。

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