芦澤:決定するのは藤村さんが最後に決定しているんですか?

藤村:類型化していくんですよね。そういう意味ではメタレベルであって、私が丹下さんみたいな形で、グループ化していくんですけども。ただ、横に工藤さんがいるので、もっと屋根下げたほうがいいんじゃない、いやもっと高いほうがいいと思うんですけど、みたいな一致しないポイントもがあるんですけど(笑)、そこも綱引きしながら統合案をつくっていく。
これも案が概ねできてきた段階で難波和彦さんと塚本由晴さんに来てもらって、市役所で討論をしました。技術的な検討が足りないとか、歴史に対する認識が足りないとか色々ご指摘頂きながら、市長が反論する場面もあったりして。一緒に議論してきた市民の皆さんも、それを聴いてこれでよかったんだと確信できたんじゃないでしょうか。
本当に小さな建物ですけど、集団でつくっているんで設計に参加した学生もどっかに自分の出した初期案の要素が残っているんですよね。この屋根は俺の案だとか、この窓は俺だとか、エレメントが残っているんですね。だから10人全員が俺のもんだっていいながらつくっている状態になっている。誰かの案をコンペで選んで1位で1個出来ました、というんじゃないんですね。こういう集団設計って意外とスムーズにやれるんだなって感触を得られたのが1つの達成で、そうやって包摂する設計のプロセスのスタイルが出来たなと思ったんです。
でもそういうプロセスの意味ってなかなか雑誌では発表できない。新建築になると6ページぐらいに纏まってくるので、いくら細かい字でいろいろ説明しても、写真で見るとただの小屋に見える(笑)。でもストーリーとして話していくと、これが将来的な公共施設のあり方だということも少しはご理解頂けるんではないでしょうか。コンクリートの重量建築物は、市内の数カ所に統合して再配置していかなくてはいけない、だけど地域にはこういう小さな木造の小規模な施設が分散配置されていて、それは地域のひとたちが設計に参加してどんな施設にするか話し合って、自分達で運営して、自分達で維持管理していく。そんな施設像が今後の都市設計のビジョンの一部になると思うんです。
例えば、壁面を一面わざと未塗装で引き渡すという事をやっていて、それをみんなで塗るっていうイベントを仕掛けたことも、何か問題が起こったらクレームをつけるのではなくて、自分達で維持管理していく。建築だけではなくて道路もそうなると思いますけれども、今はそういう時代なんだという事を、皆でこの小さな建築を通して共有する機会にしようと思いました。
こういう実験をしながら、だんだんと提案する範囲が市の都市計画とか財政計画を超えて総合計画レベルになってきて、鶴ヶ島プロジェクトが徐々に総合的な政策の体系の中で位置づけられるようになってきました。プロジェクトを初めて5年目ですが、最近になって組織全体が動き始めた感触があります。特にこの春の人事で建築課長さんが教育委員会に移ったり、都市整備部長が総合政策部長に移ったりして、ああ、いよいよ動かすんだなって感じました。世論が動いて、担当者たちが動いて、組織全体が動いて、こうやって社会って動いていくんだなって学びました。
最後に1つプロジェクトをご紹介して終わりにしたいと思います。鶴ヶ島市やさいたま市で継続的にワークショップとか世論調査に取り組む一方で、それらの限界をどうやったら超えられるか実験しています。ワークショップといってもぜいぜい100人程度の動員なので、そこで投票してもらったとしてもせいぜい10票とか20票の差で空気を感じ取るしかないんですが、その限界を超えられないかみたいな事を試しているのが「グーグル・チェアー・プロジェクト」です。
これはグーグルの画像検索を使って椅子を設計するという試みで、中国語だとこうで、英語だとこうで、日本語だとこうだというように、文化圏によって椅子のイメージって少しずつ違うわけですよね。そこでそれぞれの画像検索で上位になった椅子の画像の構成を分析して、類型化して形にしていくと、中国語の椅子、英語の椅子、スペイン語、ヒンディー、アラビック、そして日本語の椅子ができます。中国語から日本語まで、世界の上位9カ国の椅子の形ってそれぞれ違うんですけども、これらを統合していくと最後、これが世界の人たちがイメージする椅子である「グローバル・グーグル・チェア」ができます(笑)。
このノリで住宅を設計するという事をやっていまして。この住宅のイメージを検索して、それを元にまた類型化していくんです。これを商品化するプロジェクトをしていまして、最終的にはこれをまた統合していって日本人がイメージする「いえ」を形にしました(笑)。しかも意外と安くできる(笑)。

芦澤:あははは。(笑)

藤村:今とあるデベロッパーさんの土地で、5棟を実際に建てるというプロジェクトをやっています。人々のイメージを建築にして現代的な郊外の風景をつくる試みです。
最後の最後に、「JAPAN2.0」という、人々のイメージが、この日本をどう変えていくかっていうプロジェクトをご紹介します。これは3.11の後に見いだされた線で、福島の双葉町が埼玉県に行政機能を移していて、福島から埼玉へ線を引いたら、たまたま45度だったんです。東北から南西へ、中国の伝統的な都市計画でいうところの、所謂「鬼門」と「裏鬼門」の角度になっていることにあるとき気がつきました。それをそのまま延ばしていくと、浜松を通って沖縄を通っていて、ここに原発とか郊外化とか移民とか基地とか、日本の70年代以降の列島改造の色んな問題が集約しいているってのが分かってきて、これを僕は「問いの軸」と名付けました。
これに対してどう解決を見いだしていくかっていう事を我々の世代は考えなくてはいけない訳ですが、結論だけ言いますと、この線を実は延ばせば良い。線を延ばしていくと、調度これが日本の建設業がインフラ輸出をしようとしている軸になっていて、台湾とかフィリピンとか、ベトナムとインドネシアの間を通ってシンガポールへ向かっていく。

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