安藤:1人1万円の募金をしてくれたら「4万5千人分」。何かに取り組む時は、作戦がいるわけですが、ここでは一本一本の木に名前を書いてもらうことにして、2004年の終わり頃に1億5千万円ほど集まってきましたので、翌年、2005年の1月に1本目を植えはじめたいと思い、関経連商工会議所の同友会に頼みに行ったのと、当時の知事、市長にも、お願いに行きました。そしたら皆さんに「1月は忙しいから安藤さんの話しに乗れない」と言われてしまい、よく考えてみたら、中之島という場所は、大阪市の土地、大阪府の土地、国の土地として、存在している訳で、勝手に植えるものですから、皆さん抵抗しますね。(笑)

私の発想は、パブリックに存在する場所というのは、市民や府民、国民の土地だから、それらの人たちから、お金を集めて植えるのもいいんじゃないかと言うところから始まっています。でもそんな勝手な理論を皆さんに話すと、忙しいというのもあって協力ができないと言われて、さすがにムッときたのですね。それで当時、1番絶好調の方にお願いに行こうと、総理大臣の小泉純一郎さんに電話をしました。

会場:(笑)

安藤:「1本目」の記念植樹に来てくれませんかとお誘いしたら、打ち合わせを兼ねて来てくれることになり、それが2005年の1月8日になりました。そしたら小泉さんの周りの方が、「総理、1月8日という年始の忙しい時期に、大阪に行かれたら1日かかります。安藤さんの話しに乗らずに諦めてください」と言われはじめると、小泉さんが、「いや、俺は、1月8日に行く。」
とお返事がある。「なぜですか」と聞きましたら、「俺の誕生日だ。」と。わかりやすいですね。そしたら市長、知事、関経連商工会議所同友会の方たちも皆さん喜んで来られていました。

会場:(爆笑)

安藤: 私は皆さんに気づかい「この時期はお忙しかったのじゃないですか?」とお聞きしたら、「いや、予定は変えられる」と。結局当時の知事や市長など、皆さん全員来られていました。

平沼:(笑)爽快なお話しに、建築家という職能の広さや深さ、そして凄さを感じています。
僕たちは設計をする者ですから、講演のタイトルにありました、30_30_30のうち、やっぱり最後の30をお聞きしたいと思っています。この質問を安藤さんにお聞きしたら叱られそうですが、建築をなぜ続けるのですか。

安藤:いやいや。今日の最初に話した建築へ取り組む「きっかけ」から、自分が面白いと思った仕事を最後までやり続けたいと思っているくらいですよ。

でもね。だいたい芦澤さんがいた頃には、10時ごろに事務所にでていましたね。お昼頃に昼飯してから19時から20時まで仕事をしていました。今は、だいたい朝10時半ごろに出て、13時ごろから4、5人の事務所のスタッフたちと打ち合わせも兼ねて昼食をとります。そして14時ごろから90分ほど、事務所の横のアパートで本を読み休憩します。それから事務所に戻り仕事をして、18時半ごろから19時に終わって、アスレチックジムにいきます。

少しゆっくりとした日常を過ごすようになりましたのは、2014年の6月10日に、「安藤さん膵臓にガンがあるよ」と告げられたのです。実はその5年前に胆管、胆のう、十二指腸を全部取ってしまいました。次は膵臓かぁと思いましてね。 膵臓ガンは、生存率が低いでしょ。京都大学や大阪大学の院長や外科部長に、「膵臓取って生きていけますか」と聞くと「いやぁ、今まで膵臓を全摘されて生きている方はおられますけど、元気になられた方はほとんどおられないですね。」なんて言われてね。(笑) まぁこれはもう、しょうがないなぁと思いました。
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