質問者1:本日は貴重なご講演をありがとうございました。僕の勝手な想いで恐縮ですが、安藤さんは歴史上の偉人と同じように、ある一線を越えられた、もちろん良い意味で、結構、危ない方だと思っています。今、僕の周りにいる友人や知人は、みんな普通というのか、尖っていないというか、自分が普通だから、そういう人たちの中にいます。自分がこの一線を越えるにはどうしたらいいですか。

安藤:なかなかいい質問だけども、絶望的な質問やね。(笑)

会場:(笑)

安藤:やっぱり心の中に燃えるものがなかったら越えられないね、自分がこれはどうしてもやりたい、自分はどうしてもこう生きたい。いろいろあると思うんでそれを自分でつくる為に勉強しないと仕方ないよね。信念がないのに面白いことはできません。信念を持つ為には、どうして学ぶかということを考えないといかんのですけれども、福沢諭吉の言うように独立自尊の考え方で自分の方法で生きると、誰も他人は教えてくれません。頑張ってください。

質問者1:ありがとうございます。

平沼:ありがとうございました。最後にもう一方お願いします。

質問者2:今日のお話しをお聞していまして、安藤さんは、昔あったことの日付を、とても覚えておられると思いました。記憶をするために、普段から記録をされているのですか。それとも頭で覚えておられるのですか。

安藤:特別な記録はしていませんね。(笑)
60年代には変わった人がたくさんいました。横尾忠則という美術家や倉俣史朗というインテリアデザイナー等が代表的です。そういう人たちとずっと付き合ってきたわけですが、友人たちと一緒に仕事をしているときには、その時々が印象深く記憶させられます。
たとえば、1988年の5月にイサムノグチと私と三宅一生でラトガースというニューヨークの郊外の大学にライシャワ・ハルという日本大使の記念講演会に3人で行きました。イサムノグチという人は立派なアーティストですが、彼は1988年の12月30日に亡くなったのです。その10日前に「私と安藤さんと一緒に展覧会しよう」と言われたすぐ後のことでした。大阪ビジネスパークの大きな会場で展覧会をする予定で2月にオープニングだったんですけど、亡くなる10日ぐらい前、パンフレットも全部できたのに「会場を変更したい」というのです。「安藤さんの設計した、ガレリア・アッカと言うミナミの地下に降りていく所がいい。あそこでやる」と。「イサムさんもうパンフレットも全部できてるやん」言うと、「そんなことは問題ではない」といわれます。 そりゃ自分は問題なくても、みんなに迷惑かかるのではと思いましたが、芸術家の持つ信念を見たように思います。

仕方がないので1999年の2月にイサムノグチの展覧会をガレリア・アッカでしたのですね。残念ながらその直前にお亡くなりになられ、図らずもそれが回顧展になってしまったのですが。そういういろいろな人たちと出会いながら、印象深い友達がたくさんいることが記憶を残すのでしょうね。
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