平沼:この開催を9年も続けさせていただいている身として、とても貴重なお話しをお聞かせいただいて、感無量です。会場に来られた方たちも含めて、僕らには、安藤さんのお言葉が、ズバリ栄養になっていることを実感させていただいています。本当にありがとうございます。安藤さん、これからの時代、建築の可能性はどのように広まりますかね?

安藤:このままだと、建築への可能性はありません!(笑)

会場:(笑)

安藤:さっきも言いましたが、大きな建築はもうビジネスの対象。ただ紙幣と違い、この負の遺産が街にのこり、今の若い人たちが抱えることになるでしょう。個人の建築家が扱える住宅や小規模建築は、クライアントや大工さんと話をしながら、必ず「心の中に残るもの」をつくれる可能性が高いじゃないですか。でも肥大化した建築の価値は、これからの時代、難しい使命を帯びると思っています。

平沼:それでは、僕ら建築家の職能の領域の幅や、今後の社会的な役割を担う可能性はありますかね。

安藤:設計もそうでしょうが、このような建築界に期待される取り組み、その仕事の中で自分しかできないようなことに頑張れば、社会から多くを求められ、期待される可能性がもっともっと増すでしょう。私たち建築家もそうです。建築家になっている人たちは、若いころの鍛えられ方が違います。そしてきっとこのお二人も、日常に建築に取り組む姿勢や集中量が、一般の設計者と比べて違うでしょう。ご本人たちは、それをもう、普通だと思っていますね。だから特に、若い人たちは、「建築」というものに人生をかけて飛び込んだわけですから、迷わず覚悟を持ち、徹底的に諦めず、勉強しないといけません。先ほど話をしましたが、大工さんの一心不乱に働いている姿を見て、夢中にやれば必ず、暗闇の向こうに光が見えると信じてやまなかった。だから本を読み、建築を観るときも、一心不乱に見て、その若い頃の無理を、後に普通の日常にしていってください。それが、活動を長生きさせる秘訣だと思います。

平沼:安藤さん、77歳を超えられても現役で活動をされる秘訣。これからの時代、建築家も長生きは望む方が良いですか。

安藤:建築家じゃなくても言えることですが、人間長生きしても、ちゃんとまともな仕事してないとダメですね。生きる意欲を失くし、目標をもてなくなります。だからそろそろ日本人も、自分の考えている目標をしっかり言えるようにならないと。私はいつもクライアントからの相談があって設計の仕事をするときには、徹底的に担当のスタッフと話し合いをしてくださいと言います。私が先に入ったら話しにくいでしょ。(笑) 徹底的に話したら必ず、面白いことが見えてくるのです。この会場にいる皆さんには、自分の職業の中でぜひ、可能性を探してほしい。必ずあるんですよ。他人と比べて、自分はすごく苦労したとか、しんどかったなというのは、それほど無いんですね。その代わり一心不乱に働いていた記憶はあります。好きなことなら我を忘れてのめり込める。例えば将棋の棋士もそうです一心不乱に、ものすごい先の手を読みながら駒を取る。大変な職業だと思いますね。あれだけ徹底的に、考え尽くす、すごいと思っています。どの職業でも、そうしたら必ず見えるんですよ。

芦澤:今日は先生に、本がやっぱり大事だというお話をいただいたんですけども、多分、安藤先生にとって旅も非常に色んなことを学ばれたご経験だと思うんですけれども、最近の若い人はあまり旅にいかない人も多いと聞きます。

安藤:私は1965年24歳の時に初めてヨーロッパに行きました。なぜ旅に行ったかというよりも、世界を見てみたいという、無知で単純な好奇心だけでした。当時は、お金がないし知識もなく、英語も全くできません。これらがなくて当たり前なんです。横浜からシベリア鉄道に乗るためのモスクワまで行くのに船で1週間かかる。それからレニングラードを抜け、フィンランドから西欧に入ります。そしてマルセイユまで行った時に、ここまで来たんだからと、アフリカに向かいました。パリ・ダカール・ラリーがあるダカールまで行き、ケープタウンまで下って、マダガスカルを通過してインド洋へ出ました。この旅で、生きて帰ってきたことで、生きることに対する自信ができました。(笑) 

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