芦澤:物と物との取り合いのディテールを非常に原理主義的に考えておられているなって思いますけれども。

内藤:それはそうですよね。あんまりそういう所が曖昧になるのが嫌だった。それは先ほど言ってたポストモダニズムに対する僕の批判的精神がそうさせてるのかもしれないけど、例えばある物があった時にそれが人に与える効果、エフェクトの方に重きが行くとその実態がわからなくなるということがある。だから出来るだけ正直に物事を存在させたいという気持ちが強い事は確かですね。

芦澤:僕もその自然との関わり方で知りたい事があるんですけど、自然を感覚で掴まれている所と、要素として例えば光、風、水とか分解してそれぞれ詰めていらっしゃるような所も感じて、それをプロジェクトによってうまく選択されているのかなと思っているんですけど、すべて考えられるんですか?

内藤:あんまり分けて考えていないんですよ。さっき言ったみたいに冬に設計しているなら夏の事を考えろとかいうのは想像力の問題じゃないですか。現実には周りに冬の状況があるわけだから、それと同じで建築家がどれだけ想像力を持てるかだと思うんですよね。例えば、風の強い日をイメージできるかとか、曇天の日をイメージ出来るかとか、光の問題とか湿度の問題とか、設計している時にどのくらい建築家がイメージを持てるか。出来るだけそうした想像したことを設計に戻して来ようとするだけなので。海の近くならば潮風が吹いてくるよねって想像する。そうすると潮風は湿気ているかもしれない、鉄を錆びさせるかもしれないとか、潮風をイメージできるかどうかが問題として最初にある訳ですよね。そういうふうなアプローチなので、特に要素的に考える事はないと思います。

芦澤:感覚を養う為に色々分析したりするのでしょうか。例えば、シミュレーションとか。

内藤:シミュレーションは設備事務所がやったり、構造のシミュレーションは構造事務所がやったりするんですけど、僕はそもそもココが間違っていると特に最近思っています。シミュレーションはシミュレーション。近代的な情報技術の一つの結果であって、シミュレーションするには境界領域というのが要りますよね。設定条件を決めなきゃいけないわけです。僕らが今必要なのは境界領域を疑う事ができるかどうかという事です。建築家や一般の人に求められている一番大きな課題だと思います。これは近代的思考についての難しい話をしていますけど、わかりやすい話で言うと、私は三陸の津波の委員会の委員だったんですけど、L1クラスの津波だとか山のようにシミュレーションが出てくる。委員会で私の隣に東北大の名誉教授で津波の専門家の首藤先生という方がいました。すばらしい先生です。シミュレーションは限定的なことしか予測できない。同じ津波は来ない、と強く言われていて、つまり、我々は自然を解析できると思っているんだけど、それは過信で、実は解析できていない、ということ。もちろんシミュレーションの知恵も役立てなければいけないんだけど、片一方で僕らが感覚的に持っている畏れ、自然に対する畏れとか、自然に対する畏敬の念であるとか、それを欠いたシミュレーションっていうのはホントに危ない。それは建築にも言えて、構造解析でできましたっていうのも、シミュレーション上成立しているだけの話です。構造体に対する畏れだとか重力に対する畏敬の念だとか、そういうのを欠いたシミュレーションはとても危険だと思います。そういうのは確かにやんなきゃいけないけど、そこん所は大いに疑った方が良いと思っています。

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