芦澤:
平沼さんどうですか。
平沼:
共有性についてですか?山崎さんについてですか?
でも、山崎さんの話を聞いていると、たぶん皆さんも一緒に共感してしまう部分があります。つまり、パブリックとコモンスペースという境界線が、明らかに僕ら建築をやっているものよりも、もうちょっとぶっ飛んでいて、公共というものは本来もっとドライブしづらいものですよね。僕なんて言いなりですよ。公共の事業をやるときには「はい、すいません」みたいな・・・「あっ、来週までに仕上げてきます」みたいにやっているので、ドライブなんて無理だなって思ってしまいます。でも、山崎さんはすごい早さでドライブしていて、着目点が全然違うところにあるんだな、と本当に感心させられました。
芦澤:
本質的には、例え住宅でもこういうショールームでも店舗でも、共有性や公共性はあるものだと思うんですよ。それをいきなり行政がやったから公共だとかそういうことではなくて、一緒に生きているということで共有性とか公共性というのは絶対あって、という風に僕は思っていますね。
平沼:
道路だから公共という位置付けはもうなくなってきて、山崎さんがやられているようなものって、公共から民へ全部取り返していくやり方なんだろうなという風に捉えています。
山崎:
そうですね。「道普請」って江戸時代のやつをもじって、「まち普請」と言ってますけど、道路だから公共、じゃないですもんね。江戸のまちはみんな普請してるわけですから、道路の標準断面なんてないわけで自分たちの町内がこの道路でいいとなったら、それでずっといくわけですから。そうやって穴が空いたとか水たまりができたとかができるようになったらみんなで修理していくと。まちは基本プライベートの人たちが出てきてみんながパブリック空間をつくってきていたわけで、それを一時期、税金を納めるからアスファルトをひいて公共なんですと切り離されたんですけど、おっしゃる通りもう一度一人称の市民が関われる空間に変えていきたいということが、今僕がやっていることだと思います。いっぱいキーワードがありますね。
芦澤:
最後の質問です。今日、前提の部分でも説明してくれたし、端的に言うと、縮小傾向の今後の日本の中で、建築とランドスケープの可能性はどういうところにあるのかと。
山崎:
建築はアーキテクチャーで、ランドスケープはランドスケープアーキテクチャーですよね。
芦澤:
そう置き換えてもらってもいいです。
山崎:
ですよね。僕はよく話をするんだけど、アーキテクチャーとかアーキテクトってすごく可能性があると思うんですよね。アーキテクトって建築家の方々はご存じだと思いますけども、アークとテクトですよね。いくつもあるテクニックをひとつに統合化させていく職能としてのアーキテクトです。今までだったら、テクトの部分に設備とか構造とかを代入してきたわけですよね。ひとつに統合化して、最後に美的なものとしての統合をしていく職能としてアーキテクトがいたんだと思います。だから、このバランス感覚はすごく重要だと思うんですよ。どこかに偏ってるわけじゃないから。構造のことも材料のことも法規のことも設備のことも全部わかっていて、それを統合化していく職能ですから。このバランス感覚は、これから拡張しようが拡大しようが、ものをつくるということに固執しなければ生かしていけると思うんですよ。つまり、設備や構造や材料というものを代入しなくても、まちの市民が抱えている課題だとか、まちにあるいろんな課題を代入していけばいい訳ですよね。誰か一方の肩を持つんじゃなくて、エコの課題と循環型社会の話と産業の話と経済の話と福祉の話を1個に美しく統合するという職能としてのアーキテクトはあっていいような気がするんですね。だから、ランドスケープアーキテクトでも建築のアーキテクトでも、たくさん出てきてしまって収集つかなくなる100のテクニックを、いかにどう統合化さしていくというバランス感覚というのは社会においても重要だという風に思っています。それと、その次にある職能とはというところですけど、今お話した通り職能というのは変化させていかなきゃならない部分があるだろうと思います。とはいえ、リノベーションであったり建て替えだったりとか、これからのものつくっていく需要はありますからそっちで生きていく人もいてもいいし、そうじゃない方向でアーキテクトとしてウェブのアーキテクトとかパソコン、コンピューターのアーキテクトとかもいますけれども、そういう人たちとなってバランス感覚、あれもC言語やインターフェースの言語やOSの言語やアプリケーションの言語とをうまく統合化させていくアーキテクトですから、アーキテクトの職能とはこれからも続いていくと思います。最後に作家性の話でいくと、僕は割とジャン・ヌーヴェルが好きで、彼の作家性は「毎回変えてしまうやり方」だと言っていますね。僕のやり方に注目してくれと。彼は毎回違うかたちに見えるんだけどもそれは与条件に応じてどんどん方法を発明していくんですね、方法を。あのやり方自体が作家性だと思うんですよ。僕も毎回同じかたちを出したり、同じ冊子を作ったりするわけじゃないです。さっき言ったみたいにどういう風にマネージメントのフィーを出してくるだとか、大人たちがやる気にならないときにどうやる気にさせるかとか、毎回、僕らの中で色々と方法論を発明しないといけないわけですけども、あの人は毎回違うことをやっているよね、ということが僕の作家性と呼ぶのであればね、それ自体が作家性となってあの人に頼みたいとなっていう風に言ってくれればいいなと、僕としてはすごくうれしいなと、だからどこに行っても同じようなかたちをつくっているのを作家性と捉える筋があったとしてもいいんだけれども、そうではない作家性というものが一方でもあったらいいんじゃないかなという風に思っています。
芦澤:
確かにものにこだわり続ける今までの「作家」という人たちの限界を見ている時代なのでしょうかね。
山崎:

だいぶ、経済も何も、ものにもたれかかってきて進んできた感じがしますよね。

 

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