平沼:はい(笑)。高校生の時にニューヨークに行く機会があって、セントラルパークをうろうろしていたら、ライトのグッゲンハイムとぶつかったことがきっかけです。1980年代のNYは、典型的なアメリカのようなイメージを持っていたけど、アメリカじゃない、NYという一種独立した場所のイメージをもっていました。もちろん、摩天楼タワーがそびえ立っている状況にもびっくりしたのですが、その頃、英語が出来なかったので、誘われるままに入っていったグッゲンハイムという美術館の内部に入って行ったら、見たこともないような空間が広がっていて、これ誰がつくったんだろうって聞くと、建築家という人たちがいて、こういうものを設計するんだって言われて、あぁーこんなのつってみたいって想ったのが一番のきっかけだと思っています。その後にもNYの中心街を歩いていると、ほらほらこれを触ってごらんって言われて、ふとっ、壁面を触らされたんです。空を見てごらんって言われて見ると、300m先までつながっているということに、すごくなんだか、あ、そうだったな、と感動して。こんなのつくれる日がくる職業はいいなぁと想って憧れたのを思い出します。

倉方:なるほど、なるほど。芦澤さんは?

芦澤:僕そんなかっこいいきっかけがなくてですね。2つあって、高校が東京だったんで、渋谷六本木で…。あ、倉方さん、高校も一緒ですよね。

倉方:あ、そうそう高校も一緒なんだ。

芦澤:練馬にありました。僕の家は横浜で、学校に行く途中に渋谷とか新宿があって、途中ずっと遊びまくっていたんですよね。

倉方:受験ないからね。(笑)

芦澤:初めは商業施設とかクラブとか飲食店とか、そういう世界がまあまあ面白いなあとか。そこにデザイナーらしいのがいるっていうのがインプットされて。でもその時は何も思わなかったんですけど。遊びまくっていたらお金が無くなったので、ずっと建設現場で働いたのです。いろんな現場があったんですけど、いろんな職種のバイトをやりました。ブロック屋、鉄筋屋とか。で、バイトながら作ってるものがしょうもな!と思ったんです。よくよくみるとみんな図面を見てて、図面に文句を言ってる。職人さんがばかにして、「何もわからん絵描きが勝手に書きやがって」というような話をしてたんで、これだったら僕がやったほうがましかなと思って、建築学科にいこうと思ってしまったのが過ちの元だったのですけど。

倉方:なるほどなるほど。

芦澤:それともう一つは小学校6年生かな。これは今になって思うんですけど、ほとんど授業に出ていない悪ガキ3人か4人ぐらい集められて、これをやったら卒業させてやると言われて、学校の先生と一緒に校庭の片隅に竪穴式住居をつくりました。3か月ぐらいかかってやったのかな。そこで試行錯誤しながら手を動かして作り上げて、囲炉裏の上に換気口があって、そこから光が入ってくる空間を見て、子供ながらにすごいなと思った喜びを後から思い出すようになってきて。今でもそれは僕の原点ですね。

倉方:お二人とも実際の空間体験のようなものがあって、日常的な家とか学校とかでは空間って意識しないけど、ちょっと異なる空間にいくと、空間ってものが突然あったんだってわかる。その空間体験みたいなのは、現象的にあるっていうのと、そういうものも含めてつくれる人がいるんだって。つくったっていうのは、大工さんとか工事する人がいるんだっていうのは子供でもなんとなくわかる。つまり施工者じゃなくて設計をした人がいて、その設計した人の線とか絵でもって、一直線のものも立ち上がったり、ひいては、その感動する空間につながるようなものまでできるんだっていう、その設計者がいるんだっていうことに気が付く驚きってありますよね。

芦澤:ありました、ありました。僕もずっと知らなかったですもん。

倉方:そう。だから、建築家になろうと思うとか、建築学科に入ることって、よく気が付いたなという感じしますよね。だって普通に生きてたら設計者っていう存在があると思わないじゃないですか。誰かが設計をして、その人は別に作りもしないし、金も出さないんだけど、その書いた線で何かを決定づけるっていう、建築家って不思議な職業ですよね。ところで、今までレクチュアを開催してきた中で、どのゲストの先生たちにもこの質問をしてるの?

芦澤:定番の質問ですね。

倉方:今までの答えの中で心に残った答えとか、こんな答え方するんだとか思い出すものってあります?

平沼:この質問ついては伊東さんが仰っていたのが印象的で、高校生まで野球をやっていらして、東大だったら神宮に出られるだろうと、文系で受験をされたら滑ったらしくて、浪人生活中に近視が進まれて野球をやめたそうです。そしたら、「俺はどうするんだろう」と悩まれて、浪人の夏に理Tに転向されなんとか受験には成功をしたものの、電気系にいこうと思ってたら、遊びすぎていけなくなり、その頃、建築学科は、工学部のおちこぼれが集まるところだったから、ついつい…と、言われていました。

倉方:ははは(笑)。

平沼:そ、建築を目指したわけではなく、建築家になってしまったっていうのが驚きでした。

芦澤:誰か、強烈な建築家になりたいとか言ってた人いましたっけ?

平沼:実はいなかったんじゃないかなぁ。

倉方:そうなんだ。それおもしろいね。なるほどなぁ。でも、歴史をみてもそうですよね。建築って曖昧だから、なんとなくやりたいことに近いかなあぐらいな誤解が元になって建築学科に入って、結果大きくなる人もいますよね。

平沼:西沢大良さんの答えが良かったんですが、大良さんが物理学者を目指してて頑張ってたらなれなくて建築になったっていわれていました。

芦澤:落第して、しょうがなく建築にいったって言ってましたね。

倉方:そう考えると、僕も今大学にいるから入試監督とか、採点までやらされて、だってうちら中学受験しかしてない。

芦澤:そうそう。それがピークですから、僕らの。

倉方:でそれで、建築学科って、こういう科目で入試して入るんだと知るんだけど、何かおもしろい。建築学科でも早稲田大学なんかは入試科目にデッサンが入ってるけど、国公立とかは数学とか英語とか3科目ぐらい受けて、後期の試験なんかは数学1本なんですよね。数学のテストが2時間半くらいあって、後期の入試は数学のみで決まるから、建築学科に入るのに数学の能力で決めるってどういうことよって思ったんだけど。考えたらなんのテストをすればいいのかっていうとわかんないよね。

芦澤:そうですよ。

倉方:いろんな思惑とか落第とか思い違いとかがあって建築学科にくるのを受け止めるのも、良く言えば包容力だし、悪く言えば誰が向いてるかわかんないような適当さが建築学科ってありますよね。

平沼:なるほど。人生なんて、分かんないですよね、ほんとに。

倉方:絵が描ければ向いているっていうわけじゃないしね。

芦澤:確かに懐が深い職業ですよね。

倉方:深いよね。あとは自己責任。なんとかしろって話しなんだけどさ。むずかしいことも多くて…。


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