倉方:というのは、まぁ建築家っていうのは、おもしろいのはなんかこう、自分で全部一人でやるんじゃなくて、その人がいないと動いたことでなんかこう変わる状況をつくり出せればいいわけですね。山崎亮さんがやっていることはその意味ではやっぱり建築家ですよね。
芦澤:隈さんでもね、スケッチすら書かないっていいますもんね。
倉方:そうそう。隈さんが最近出した『建築家、走る』という本を読んでいたら、隈さんがなんか右手をね、なんか置く瞬間に自分の造ったガラスのテーブルを割っちゃって、それで右手が切れて不自由になったから、自分は得意だと思っていたスケッチをしなくなって、そこから建築が変わったとあって、うまいなーと(笑)。いや、本当だと思うんだけど、例えば、磯崎さんが丹下さんと付き合って万博やってたら過労で倒れた、それで死にそうになって、それから自分は変わったみたいなエピソードを思い出して・・ドラマを作るのうまいですよね、建築家は。
芦澤:お祭り広場の設計をして、設計終わった瞬間かプロジェクト開会式があった瞬間に磯崎さん倒れたんですよね
倉方:そうなんですよ。安藤さんもそうだし、ドラマティックなものは大事(笑)。
芦澤:ドラマチックなところを路でいかないといけないですよね。
倉方:そうそう。
芦澤:単に演出でなくて、歌舞くというか、半分演技をしながら、本気で生きるっていうことができないと建築家は難しいですよね。
倉方:そうなんだよ。そこがだからおもしろくて、ほかのデザイナー、他のっていう言い方ちょっと雑駁すぎるけど、例えばプロダクトデザイナーやインテリアデザイナーであれば、作品と人格が乖離してても成立するような気がするけれど、建築家ってそれはありえないと思うんですよ。本人がやっぱええ奴やとか。それも半分演技だけど半分は本当で、なんか自分の全人格的なところをプロデュースしていないと、大きなものったって何億円とかね頼むわけだから、一生に一回建てる家とか、だからそこはやっぱり建築家っていうのはおもしろいですよね。
平沼:五十嵐淳さんどう思いましたか?
倉方:五十嵐淳さんもおもしろいよね。
平沼:イガジュンさん最後、なんか怒ってましたよね。
倉方:ああ、怒り芸ね(笑)。コンペの審査なんかでも最初だまってしばらくすると、いきなりガァァーーって喋りだしてなんか「最近の学生は」みたいなこと言って来た来た来た、みたいな。これでこそ五十嵐淳を呼んだ甲斐があったと。
平沼:へへ。なるほど。(笑)
倉方:それこそ演技か本気か分からない。そんなところも、また建築家ですね。
平沼:へーそうですか。五十嵐さんよかったじゃないですか。
倉方:淳さんいいですねー。
芦澤:やっぱ、北海道でね、頑張ってますよね。
倉方:そうそう。いやー、五十嵐淳さんいいですよ。僕好きだなー、作品がいいし、またそれとは別に飲んでいて楽しいし。
平沼:うん。
芦澤;うん。
倉方:はい。あ、藤本さんねー。まあ、藤本さん71年生まれですもんね。
平沼:同級生ですね。
倉方:そう、同級生にあたりますね。この間、台湾でご一緒した時に、飲み過ぎて翌日までダウンしていたけれど、そんなところも含めて憎めない。それこそ全人格的な建築家だなあと。
平沼:ははは。ああ見えてとっても忙しいのに、付き合ってくれますね。
倉方:そ、付き合ってくれて飲み過ぎて。さて、次は西沢大良さんですね。
平沼:西沢さんが僕は一番、よかったと言っても過言ではないです。
倉方:西沢さんは理知的な良さがありますよね。
芦澤:つくり方がいいですよね。
倉方:うーん。またこの口調とかねー、声が、説得力あるんですよねー。
西沢さんはね、「近代」に対して、現代モデルというものを対比させてて、理知的に攻めている。みんながもやもやと思ってる事を、きちんと言葉にする。今なかなかそういう役割の建築家がいないじゃないですか。逆にプロジェクトベースだったり、人格ベースで、なんとなく良いといった方向に流されているともいえる。いわばコミュニケーション能力と、後世に書き残す言葉や理論、その両方ないと立派な建築家だとみなされなかったものが、今はもうコミュニケーション能力だけで成立しかねない。だから1980年代以降に読むべき建築の本ってあまりないですよね。
芦澤:あー
倉方:70年代までは原広司さんだとか磯崎新さんの本とか、なんか読むべき本があったんだけど、80年代以降って、学生が読むべき本があまりない。みんな写真集とかインタビューをまとめたものとかばっかりになっちゃって、後世に残る理論をつくろうという建築家がね。歴史家もそうだし、批評家もいなくなっちゃったし。
平沼:なるほど。
倉方:そういう時代に西沢大良さんはそれをやろうとしてるから、尊敬しますよね。
平沼:まあ、ご自身も言ってらした通り、オタクでしたよね。
倉方;オタクですよね。 |