芦澤:例えば、20万uぐらいの複合ビルみたいなもの頼まれたら、手塚さんだったらどんな設計されるんでしょう?

手塚:まあ、やってますけど。大事なのは、今、私は建築をつくる気はないって言っていて。都市をつくる。そのためには、手塚はどこにいるかわからないぐらいがいいと。やっぱり、あるスケール感なんですよ。小さいもんつくるときは、例えば、3,000uぐらいだったら一人の建築家がつくっても、それはそれでいいと思う。5,000uでもいいかな。例えばね。だけど、都市のなかに1万uとか2万uがあるときに、1人の建築家がやったら、バケモノになっちゃうんです。だから私はできるだけ、このマニラでやってる仕事も、インフラだけつくって、その後これから毎年1つずつ地元の建築家にコンペをしてだそうと思うんですけれども。色んな人が参加して、多様性があるまちをつくる。そういうのが大事かなと思ってますね。

芦澤:そこで、なんらかのコントロールはする感じですか。仕切らない?

手塚:もちろん、「ダメだよこんなの、人が住めないじゃん。」みたいなことはよく言いますね。そういうことはやるようにしてます。選ぶときに、そういうのを理解する人を選ぼうとしますね。そもそも、形だけつくって、後は知らないみたいな人はやめたほうがいいんじゃないかなと。

平沼:はい。

手塚:これは、十日町の情報館、産業文化発信館って難しい名前なんですけれども、私の名前をつかって地元の工務店が勝手にコンペをやって、とっちゃったけどどうしようみたいな。

芦澤:ははは。

手塚:事業コンペなので、形はないんですよ。ただ、建築家は手塚って決まっていて、気がついたら仕事がきて、どうしようみたいな。よくわからないんですけど。
十日町は雪がいっぱい降るんですね。現場の状況がこんな状態で、所員が現場にいけないっていう。わかりますこれ?雪山登ってますけど。雪山越えて、なんとか建物の中に入るんですね。建物を登ってるとこですね。全部繋がっちゃうという、エベレストみたいな。これも実は最近できてます。Facebookに最新の出てるんですけど、これはここまでしか出せないです。
木造が多いです。これも、ばかでかい木造で。これは空の森という、佐藤卓さんというデザイナーからの紹介でやった仕事です。不妊治療の施設なんですね。病院らしいところに入れると治療なんか上手くいかない。じゃあ、外にしちゃえっと。大事なのは、これ沖縄なんですけども、沖縄って森がないので。第二次世界大戦の時にほとんど燃えてしまっているんですよ。日本軍が半分燃やして、米軍が半分燃やして全部なくなっちゃったんですね。そこで、森を復活させて、その中に木の文化を復活させるというプロジェクトです。柱が500本以上あるので、結構大変な仕事でした。真ん中なところにあるのが、かなりハイテクな施設で。病院に見えないでしょう。
次は、セブでやってる。Lorega districtって言って、ものすごく貧しいところがあって、この人たちをどうやって助けるかっていう仕事で。地元の言葉も英語もしゃべれないので貧しいんだということで、ラーニングセンターをつくるという。これは私のコンセプトなんですけど、ワクワークっていうのがあって、山田さんと森住さんという夫婦がやってんのかな。それに協力することにしました。
こんなところに住んでるんですよね。一日の収入は百円も満たないという。お墓の上に住んでるんです、こうやって。ただ、工芸はあって、竹の文化があったり、この小屋も実は六万円という、ただここはあの、コンクリートの精度が非常に低いので、手こねコンクリートっていうんですけど、プラスマイナス五センチぐらいで打たれちゃうんですよ。それは難しいということで、パンケーキみたいに重ねて建物をつくろうと。ちょっとぐらい曲がっててもいいぞ、とマカロンみたいな建物をつくってる。パンケーキやって壁立てて、パンケーキやって壁立ててやってくと、こういうのができて、最後に上に苺を乗せると可愛いだろうっていう。

芦澤:ははは。

手塚:言えないくらい坪単価が低いんですけどね。
これはあの久しぶりに、これ三条かな。これは軒先を作ろう、軒下を作ろうっていうプロジェクト。
これはさっきの南三陸の建物。子ども達が戻ってきちゃったんで増築しなくちゃいけないって。木造の建物ですね。ちっちゃな材料でつくろうって工夫してるんです。
これは青森。ふじようちえんをちょっと傾けたら面白いんじゃないかと。使いまわしだって皆に言われるんですけど、ちゃんと考えてるんですよ。南に傾けると陸奥でも寒くないっていう。
これで最後ですけどね。これうちの車に乗ってるんですけども。うちが5代目オーナーですけども、もうね50万キロ超えてるのかな、凄い車で。

芦澤:これいつ頃ですか。若いですよね。

手塚:えっとね、20年近く前ですね。日本に帰ってばっかりの頃。大事なことはね、完全な車じゃないんだけど、50年間つくり続けたんですよ。50年間つくり続けられた理由ってなんだろうって。建築って古くなっちゃうでしょ。でも愛され続けると、使われ続けるんですよ。車で50年ってすごいですよ。それ、大事な事っていうのはお気に入りであるかどうかって事なんですよね。機能的には大した事ないんだけど、楽しいのは大事だよねってことで。人が乗ったり、物が乗ったりとか、家族が乗ったりとか楽しいですよねっていう話なんです。

芦澤:最後に、だーっと見せてもらった中で、すごく気になったプロジェクトがありまして、セブのプロジェクトで、僕も今フィリピンで少しプロジェクトをやってるんですけれど。半分ボランティアぐらいの感じのプロジェクト、

手塚:かなりボランティアですね。

芦澤:ですよね、ですよね。

手塚:もう膨大にお金を失ってます。

芦澤:ええ、ええ。手塚さんが、建築でどういう事を貢献と言いますか、現地の人たちに、先ほども教育の事とか話されてましたけれど、どういうことを与えようとしているのかっていうのをお聞きしたいなと。

手塚:とにかく私ね、友達ができるのが大好きなんですよ。

芦澤:ははははは。

>>続きへ


| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | NEXT