平沼:ちょっとじゃあ、会場から質問を取りましょうか。お二人くらいだけ。

会場:意匠設計しております。北川原先生、先ほど長谷川等伯の松林図のスライドが出た時に、ご自身の建築っていうのが、松林図のような、ああいうものが理想だとお話がありましたが、そこをさらっと流されたと思うんですけど、その辺のお話を詳しくお聞きしたいという事と、もう一つは、ここ最近、テレビを見ても新聞見てもとにかく公共建築の話ばっかりで、設計家全体というか業界全体というか、誤解のないようにしていかないと非常にまずいことと思います。先生の様に非常に経験豊かな建築家からその辺のお考えをお聞かせ下さい。

北川原:最初のその長谷川等伯の方のお話ですが、絵に象徴されているのは日本の文化の構造そのものだろうなと思うんですが、丸山真男さんとか色んな方もおっしゃってるその日本の文化って、真ん中は良く分からなくて、闇だったり空洞だったりして、周辺になんか色々表れてくると。その周辺に表れてきた物を見て、空白の、闇の世界を想像してく。これが西洋にいくと、その空洞っていう概念があんまりなくて、ど真ん中にドーンとなんか作っちゃう訳ですね。でも日本はそれをしないっていう所が非常に特異だと思っていて、建築の分野で果たしてそういうことをやってきた建築家がどれだけいるだろうと思うと、あんまりいないと思ってまして、白井晟一とか磯崎新なんかは十分それを分かっていながら仕事をされてきてますけれど。僕は正面からそれを何とかしたいなと思っています。そういう意味で日本的な物をちゃんとつくりたいと思っている、という事かも知れません。
それから2つ目のご質問というのはなかなか難しいと思うんですが、僕ら建築やってる人たちの社会における位置づけですね、これがほんとに無いんですね。それなりに発言したり、また意見を求められると思うんですけどね。公共建築に僕も随分携わってきましたけれど、ある部分においては役に立てるけれど、全体的にみると、ほんとに部分的にしか役に立ってない、というか立てないんだなっていう、その限界を感じているのが正直なところですよね。最近話題になってる新国立競技場なんかは、やっぱりそういう問題の一端が顕在化した。つまり日本においては、ああいう建築をつくる際に建築家っていうのはあくまで設計者であって、広く高い見識をもって意見を言う者としては、全然その視野に入れられないんだということが現実ですよね。この辺はJIAの皆さんもそれぞれ努力されておられる訳ですが、西洋に比べれば、まだ建築家の歴史っていうのが100年か150年。イタリアなんかはもう2,000年とかあるわけで。そういうところの大きな違いもあると思うのですが、一人ひとりが何とかしてかなきゃいけないと思ってます。

会場:お話どうもありがとうございました。勉強になりました。

平沼:ありがとうございます。もう一方。

会場:関西で建築やっている学生なんですけど、今回その講演会で言われてた、その南アルプスのモニュメントのチタンとか、その小淵沢の駅の石垣などの素材、建築での素材の使い方とか、こだわりとかで意識されていることがあればお聞きしたいと思っています。それと、その絵からくる形や空間のイメージを発想されていると思うんですけど、絵からなんか素材のイメージが湧くって言うことがあるのかっていうのをお聞きしたいと思っています。

北川原:素材というのはとても重要で、モノを作るのに素材を考えないってわけにはいかないですよね。その素材っていうのは技術と結びついてますよね。だから僕らは、まず建築家である前に技術者でないといけない。ウチの事務所では、例えばあるビルを設計して、例えば外壁の熱損失がどれぐらい起きるかっていうのを検討する時に絶対に数字を出す。感じできめないということですね。こっちの方がいいかなというのじゃなくて、何カロリー損失する、サッシのヒートブリッジでどのぐらいの熱が更に失われる、全部数字で出して話をしようという風にしてるんですね。やっぱりエンジニアリングは非常に重要で、素材っていうのは徹底的に技術的な裏付けがないといけいないと思うんですね。そのためにはやっぱり、素材だけを見ていちゃ駄目で、その技術と常にセットで見なければいけない。そういう意味では、絵をみてそこから素材のイメージをすることはないですね。絵をみているときは、あくまでその絵がもっている背後にある意味を僕なりに解釈しています。

会場:ありがとうございます。

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