山下:今度は奄美の話ですね。僕は奄美へ2年前に帰るようになって、これが一番建築っぽいと思ってるのですが、一番北側にある集落の子どもたちと何かを共有しようというときに、彼らにあるお題を出しました。お題を出したら、彼らはお題でこのように返ってきます。その時は16人の子どもしかいないのですが、16人の子どもたちからいろいろなものが出てきて、一人の子がベンチと言いました。それはおじいちゃんおばあちゃんも使えて自分たちも使える運動会に使えるベンチが欲しいとのことでした。それはみんなが面白いと思い、そのようにすることとなりました。以上が第1回目で第2回目の話し合いでは、ベンチを作るコンセプトを決めます。「君たちは建築家です。」と、建築家になったつもりでこのように二つのコンセプト、コンセプトは考え方があるから、これをもとに設計図を書きなさい、設計図というのは平面図があって立面があって断面があってと言って教えました。すると16個のものが出てきて、一人の4年生の女の子がこのような絵を出しました。ハイビスカスです。平面になっていて断面的な高さも入っているのですが、話し合いが終わって、それを僕は設計者として、彼らたちは建築家として、彼女のものをトランスレートして僕が椅子にしました。それをこのようにみんなで作り上げてこんな形になったんですね。彼女たちが、自分たちの奄美って何だろう、奄美を形にするってどういうことか、それをプロの僕と一緒になってやる、そしてそれを、親である大工さんと一緒に作ります。大工さんである親を指導してこうやって作りました。次に以上のことをやったら、今度は集落から話が来て、墓場のそばで納骨する場所が欲しいということで、みんなで作りました。その時にあの酸化マグネシウムと土を固めるっていう技術を持っていたので、それを活用してやりました。

奄美に帰るようになったのは、大きく仕事を二つやっているためでもありました。奄美は来年世界遺産になるので、今はリゾート施設の仕事をしており、奄美らしいものを提供したいということで、奄美の昔ながらの集落をもう1度復活させつつ、それがリゾートの場所になるように、奄美のいろいろな人にアイディアをもらってこのようにやりました。
それともう一つ、先程ハブや台風の話をしましたが、皆さんよく知ってる大島紬。大島紬というのは化学反応で絹の色が染まるんです。それに興味を持ち、大島紬の工法、化学的な工法をもう1度分析すると、活用できることが分かりました。奄美にある琉球松と椎の木を泥に染めると、鉄分で化学反応を起こします。大島紬を作るように木を染め上げていき、このような黒いものになりました。あとは形を作るときも奄美らしい奄美の伝統的なものと奄美の持っている自然をどうにかして活かしていきたいと思い、形を作っていきました。
僕は素材も好きなんですが、構造も大好きですね。構造も佐藤淳という構造家と一緒になってこのように作り上げていくのですが、世の中にないものを作りあげていこうみたいな感じでこのようなものを作り上げていっています。今から奄美で一番多分高級なリゾート施設になるでしょう。これが先程の泥染めの木ですね、外壁があって内部は柱が立ってないです。柱が立ってなくても、このように保っているというものです。

平沼:マテリアル・ボーイですね。素材や構造、大好きですよね。(笑)

山下:はい!(笑) 構造と素材好き。嘘つかないもんね。
例えば僕らが学生時代にラーメン、構造壁構造、なんとか構造って3つか4つかで成り立っていますと教わったけど、僕は学生時代勉強してないから、分からず紙をグシャグシャにしてポンッと置いたらこれが構造だと思いました。その上に鉛筆を置いたらなにかを支えるものができる、構造ってなんでもなるのではないかということです。

芦澤:ちょっといいですか。素材にすごく注目されていて、過去に使われている素材とか新しい素材とか、構造と素材はローカリティなところと繋がっている印象を受けたのですが、構造と空間はあまり印象としては地域性とそこまで接続させようとしてないような気もするのですが、その辺りはこう、意識的なんでしょうか。

山下:おそらくですね、東京で活動していたので、東京のものを多く取り扱っていました。東京はやはりオムニバスといいますか、あんまり地域性がないから僕はそういうところでやっていたのですが、先程のエチオピアや奄美含め、いろんな地方でする機会が増えてきている中でいくと、僕にとって素材も鋼材も空間も一緒なんですね。だから、この素材を使ってこのような空間作りたいのだけれども、それにはこんな構造がなきゃいけないからというので、言葉のキャッチボールをするんですね。別に何でもいいじゃん構造はって思っています。構造を作る素材も木だったりコンクリートだったりしますから。その特性って物理的だけじゃなくて化学的なものもあるし、いろんなものをニュートラルにしてもう1回組み立てます。その時に考えるのが地域で持っているものを6割か7割は活かすこと、3〜4割はとにかく今まで見たことないものをそこに入れることですね。僕は「饅頭屋の理論」と言っているのですが、饅頭屋は10代続いてなぜ続くかというと、まず絶対に同じものを作ったら饅頭屋は潰れると言います。伝統的な物を6割7割引き継ぎながら自分のオリジナリティを3,4割出さない限りは絶対時代に捨てられると言うんです。まさにそれだと思います。

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