平沼:さきほどのスライドで、スタディモデルの写真が数枚ありました。建築のヴォリュームや形態、作り方をお話しいただけますか。

山下:はい。僕はこのような作り方をします。とにかく自分の中でニュートラルでありたいので、クライアントからここで仕事をしろと言われれば、まずはとにかくリサーチをします。場所のリサーチ、歴史のリサーチ、とにかくリサーチをして分析をして、ここに何があるのかを考えます。そうすると何となくイメージができます。そこでスタッフを3人ぐらいとA、B、Cと玉を投げ合います。それが言葉の玉であったり、簡単なスケッチだったり何か少し違うものであったり、あるいはイメージのものだったりというようなキャッチボールをします。その後にそのスタッフにそれぞれ3個ずつ模型を作ってきてもらうと、9つのものが集まります。その中から3つぐらいに絞って、また投げ合います。そうすると自分が分析してイメージした形がだんだん見えてきます。僕は自分探しをしてるのですが、最終的にそのスタッフたちと共有して作っている、とにかくスタッフと言葉のキャッチボール、形のキャッチボールをして、最終的にこれだ、これが俺が求めてたものだと生み出していきます。これがおそらく金沢だと、一個のプロジェクトで100とか200とか模型作りますね。

平沼:その時に出てくるエスキースやプランは、スタッフの方たちと案を出し合ってつくられていきますか。

山下:そうですね。はじまりは皆ではじめて、ある時期に僕が介入して、自分で平面と断面を作ります。平面と断面図をなぜ作るかというと空間だからなんですね。立面は模型の中でもう出てきた形なのであんまりそこにこだわるようなことはしないようにしていて、平面と断面は僕のイメージしているものであったり、そこに人という、用途を求める人が来るので、それは経験した僕が解かなければいけないものだと思うし、頭だけで考えても絶対に解けないので、手で考えます。頭と手と一緒になって動かした中で、最後は自分で見つけていきますね。

平沼:ありがとうございます。山下さんは歴史におけるご自身の建築をどのように位置付けられますか?

山下:それは僕が位置付けるものではない気がします。僕は常にニュートラルでいたいので、どちらかと言うと僕自身が発揮できるのは、いろんな場所に行った時、いろいろなことを考えて、そこで表現した時が一番価値があると思います。だからいろいろな場所で僕は作ったほうがいいと思っています、東京だけではなくて、国内外含めて、色んな場所で地域にあるものを発見しつつ、作っていきたいような動きを今もしています。

あと、もう少しだけ言いたいこととして、奄美のことの二番目、あ、もう一つ、三番目もあったな。リゾート施設をやっていると、民家が空いていてなんとかしてほしいと行政やいろいろな方から言われました。そこで、これは次の時代に繋げようと思い、伝統的なものと伝統的なものを繋げるための言葉として「伝泊」と名付け、出来る限り改修をして、周囲の人たち、集落の人に使ってもらう、コミュニティの場としての伝泊を始めたのです。そこで奄美の伝統的な7つの条件を調べ上げて、それに大体合ったもの、おおよそ50年以上前のものをベースにして宿にしています。訪れるときに出来る限り優雅に生活してもらいたいと思い、90何平米で2組だけしか泊まれない、知り合い以外は泊めないような、あとはWi-Fiが繋がっていて、ワインを飲みながらゆっくり出来るような場所を望んで作り、去年の7月に始めたのですが、意外に好評なのです。このような若者たちと一緒に空間を作って、奄美の伝統的なものをすると、いろんなところからお声がかかっています。その場所で単純に泊まるだけでなくて、イベントもしようと言っています。これを僕らはフィンガーファイブって呼んでいます。手前にいるのは山崎亮、ブルースタジオの大島芳彦、西村浩、松岡恭子、あと僕でフィンガーファイブっていうグループを作っているのですが、奄美でみんなでとあるイベントをしたんですね、たまたま山崎亮が奄美に来る時に呼んで、みんなでイベントしようとしてやったのですが、このようなことが50年前のものの場所ででき、それも昔ながらの振る舞い料理でもてなす。そのようなことをすると、いろんな場所で声がかかり、1つは加計呂麻という神の島と呼ばれる島があって、そこに「須子茂(すこも)」という場所があるのですが、何百年前の形が、地域ごと綺麗に残っているのです。それは必ず残したいと思い、そのような活動を始めて、今年中に7棟、来年15棟の予定です。他には、金沢と佐渡でもこの伝泊をぜひやってほしいと希望があり、京都でも話があります。
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