芦澤:
次の質問です。なぜ建築家になったんですか?
前田:
僕の世代は第二次ベビーブームだったのですが、高校のときに、僕の高校は一学年で700人いたんですよ。700人いると、芸術選択が通常は、美術、音楽、書道があるんですけど、そこに工芸というのができて、その工芸の先生が面白い人で、何をつくってもいい、何でもいいから持ってきたら評価してあげるという先生で、宇宙人の家をつくったり、昆虫のための家をつくったり、動く家をつくったり、そういうものを持っていっても「楽しいね」って言って評価してくれる先生がいたんです。それで、そういうことをやっていると、高校の先生に「お前、これ行って来い」って言われたのが、セゾンでやっていた安藤忠雄さんの展覧会でして、ちょうどその頃、大阪に巡回して戻って来ていて、それを見に行ったんです。それで、面白いなと思ったのがきっかけです。
平沼:
たぶんみんな、僕たちの世代はわかっていると思うんですけど、僕らより上の世代の人達とか、下の世代の人達、69年くらいから75年くらいまでは第二次ベビーブームって言って、すごい人数がいるんです。建築家としていい建築家がいる世代だって言われるんですけど、そんなことはなくて、分母の比率が大きい(笑)。たぶんそれだけのことで、建築家にたくさん優秀な人たちがいる世代で、競争がすごかったですよね。
前田:
そうですね。
芦澤:
さっきの話で、僕は安藤事務所の出身だったのですが、前田さんも安藤さんがきっかけということで、18歳のときに、夏からアルバイトをされていたのですか?
前田:
そうですね。大学1年生の夏からですね。
芦澤:
僕よりも早くアルバイトで安藤事務所に入られて、やっていたんですね。何で安藤事務所に行ったのかというきっかけは、何となくわかったんですけど、実際どうでした?
前田:
今も学生さんがいっぱい来ていると思いますが、その頃もたくさん来ていて、行ってみるとすごくおもしろくて。現場によく連れて行ってくれたので、朝6時に起きろって言われたんですけど、それでも学生を現場に連れて行ってくれた時期でした。そういう体験が大学1年生だったのですごくおもしろかったのと、ちょうどそのころ安藤さんが海外で展覧会をどんどんされていた時期だったんです。その時期の安藤さんのドローイングというのはすごく重くて、僕は働いたことがないので実情を知らないんですけど、アルバイト一人を向こうに送る航空券と滞在費が、保険料を含むドローイング送料よりも安かったのか、2回くらいドローイングを持って向こうで2週間くらい手伝うっていう役をさせて頂きました。それで、ヴィツエンツァっていう街にあるパラーディオのバジリカっていう建物があるんですけど、その展覧会に最初連れて行ってもらって、2年生ですから、パラーディオとか全然分かってないんですよ。日本で言うと法隆寺まではいかないですけど、すごい歴史的建造物ですよね。その中に安藤さんが白いボリュームをつくって、展示を設営するんですけど、日本だと歴史的建造物になると触っちゃいけないということになるじゃないですか。でも、現地で設営するときにはイタリアの職人さんが、「いい建物やなぁ」と言いつつも、タバコをぽいっとしていたり、中ではこう・・・ね、ぐりぐりっと足で踏んで煙草を消してしまう(笑)。もちろん、歴史的建造物をずっと使い続けるという歴史がそこにはあるのですが、そんなんじゃないですか、ヨーロッパの歴史って。そういうのを20歳のときに経験しました。20歳だから、まだ適応性があって、向こうの職人さんともとても仲良くなって、彼氏や彼女の話をしたりとか、そういう仕事を2週間させてもらいました。
平沼:
安藤事務所ってそんなでしたっけ(笑)。
前田:
いや、僕はそんなに長くはいないんですけど(笑)。
芦澤:
前田さん、たぶん安藤さんに非常に気に入られて、そういう対応というか、経験ができてるんだと思います。
平沼:
その話からすると、安藤事務所にそのまま就職という選択肢もあったじゃないですか。
前田:
はい。
平沼:
そんなのって考えなかったんですか?
前田:
考えました。けれども、僕は大阪生まれで、大阪の大学に行って、芦澤さんもそうですけど、その当時からすでに安藤事務所には東京から来られていた方が多かったんです。東京の方が多いからかわからないんですけど、知識はみなさんすごく豊富で、もちろん僕は大学2年生だったので、明らかに知識としては知らないことだらけ。学校で習うより先に「この建物見たか?」みたいな話や「この建物はどうだ」みたいな話をして、それはすごく刺激的だったのですが、このまま就職をすると、ずっとその差というのは埋まらないんじゃないかな、という気がしていました。じゃあ、何が太刀打ちできるのかなと思ったら、いろんな方と話をしてる中で「実際に見に行ったんですか?」って聞いたら「いや、見に行ってないねん」ということが時々あったんですよ。この人たち知識はすごく持っているけど、実際見に行ってないということは、それを僕が見に行ってしまえば、その差を埋められるかもしれないと、大学3年生で思ったんです。安藤さんも本の中で「旅をして建築を学んだ」というお話をされていたので、就職するにしても、一回休学をして、旅行をしてみようと決めました。それにちょうど沢木耕太郎の「深夜特急」っていうね、放浪の旅万歳というような小説があったじゃないですか。そういう時期だったんですよ。それに啓発されて、1年間大学を休学して、6ヶ月間トルコからぐるっとアルジェリアの方まで地中海を周って行って、東欧の方も周って、放浪して帰って来ました。それから、アジアを知らないことに気づいて、3ヶ月間アジアに行きました。ところが、帰って来たら、あんまりよろしくない状況になっていて、いろいろありました(笑)。
それで、どうしようかなぁって思って、東京芸大の大学院に行ったんです。その後、就職でペロー事務所を選択するんですけど。

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