芦澤:
僕もそうなんだけど、もともと僕は関西の出身ではなくて、たまたまご飯がおいしいから、あとノリがいいから、というので関西に拠点を構えているだけで、必ずしも決して関西だけでやっていこうという気はないです。むしろ東京にいると目が眩むのが、関西にいると割と俯瞰的に日本を見れるというのがあります。
前田:
ありますね。
芦澤:
どうですか、平沼さん。
平沼:
5年くらい前は、学生もみんな就職先として関西から関東に行っていましたけど、最近は落ち着いてきて、関西残って世界目指すぞとか聞くと、それってやっぱり前田さんの影響なのかな、すごいなぁと思っています。でも、あんまり関西にいるから、東京にいるから、九州にいるから、フランスにいるから、ということは、あまり関係なくみんなやっていますよね。そのバリアがなくせるという意識を持っていれば、結局はどこにいても一緒なのかなと思うんですが、どうですか。
前田:
建築って面白いですよね。モノができて、それがどんどん広がっていきますしね。学生だってポートフォリオが良ければ、すぐにフランスに行って仕事を始められるわけですし、そういう意味ではいわゆるバリアみたいなものは自分で設けなければ、どんどん広がっていくのでは、と思います。
平沼:
当たり前なんでしょうけど、こういう飲料水、プロダクト製品をつくるんだったら中国に行った方が生産ラインが近かったり、インドに行った方が安くできたりするから、そこの近くに事務所を持った方が絶対に有力なんだけど、建築の場合は動かせないので、フランスの依頼だとフランスに行かなきゃいけないし、東京の依頼だと東京に行かないといけないし、九州だと九州に行かなきゃいけないから、結局どこでやっていても一緒なのかなって、僕なんかは思ってしまいます。
そんな意識ですか?建築家って。
前田:
そうですね。あと、関西生まれと言うのはやっぱり残っている気がします。教育も含めてですけど、関西で盛り上げていければというのと、関西から世界に行く人がもっと増えればいいのにな、という気持ちがあります。こうやって呼んでいただいて、お話をさせていただくのも、そういう意識を持ってもらえる人が増えれば良いなと思いますし。
芦澤:
前田さんは、これからどんな活動、どんな仕事をしていきたいですか。
前田:
どんなところに関わっていきたいかというと、規模にはよらないんですけど、パブリックなものには関わっていきたいですね。少し前にイタリアに行って、ランドスケープなんですけど、カルロ・スカルパのブリオン・ヴェガのお墓を見てきました。安藤さんにパラーディオを見に行かせていただいた後にスカルパを見てからですから、16年ぶりだったんですけど、何も変わっていないまま、すごく丁寧に手入れされていて。所有という意味ではものすごくきれいにされているわけですけど、16年何も変わっていないということは、この先も何も変わらないんだろうなと思うと、そういう意味ではパブリックなのか、ランドスケープなのか、お墓なのか、何とも言えない領域なんですけど、ああいうものをつくれればいいなと思います。あそこもお墓で、いろんな人が入ってくる場所ではないんですけど、ああいうものがいろんな人に共有されている場所に建築をもっていきたいなと思います。
芦澤:
消費空間でない場所は残りやすいですよね。都市の中で消費されているエリアにあっても、都市の構造の中で残っていくような場所だとか、そんなエリアって、個人的にはつくれないかなと思うんですけど、どうすればいいのか分からないんですよね。
平沼:
2年くらい前に有名な話があって、コンペの審査委員会で、最終選考にズントーとヘルツォークが残ったんですけど、ヘルツォークが提案した建物は、人をどう呼びつけるか、要は経済活動をどう活性化させるかという提案をしたのに対して、ズントーは人寄せ建築は絶対につくらないって言い切ったんです。その話って、僕なんて両方とも考えなきゃいけなくて、建築は人がコミュニティを生むための建築空間である必要性はあるものの、持続性を保っていくならば、特に日本の場合、商業とからんでいかないと、また経済とからんでいけないと、エコノミーを生まないとエコロジーにならないなんていうような考え方が根付いているので、なかなか今前田さんが言われた持続可能な建築物の存在が難しいような気にもなっています。その一方で、ズントーの話を真に受けると、なかなか人が寄り付かない建築にもなりかねないという話になっていて、今、お話を聞きながら、日本国内での活動ってすごく窮屈な感覚を持たれているんじゃないかなって思っているんですけど。
前田:
でも、富国生命ビルの設計に参加させてもらって、実際できてまだ少しですから、ちょこちょこ行って見ていってます。あのアトリウムのヴォイドは、経済活動の余白の中でできているものですね。あの規模でこのような事が言えるのも、ペローという建築家が設計に参画したことが大きく、若い僕がまだまだどうこう言える場所ではないんですけれど、でもあのヴォイドというのは残るんじゃないか、そこでの装飾とかは残るといっても期限があるのかもしれませんけど、あそこは装飾が変わったり、部分的にはいろいろ変わったとしても、あの空間というのは残り、それが経済活動にもつながっていく場所になればいいなと、すいません、何か楽観的なんですけど、思うところはあります。
平沼:
初め、僕もあの場所に空白を残したのはすごいなぁと思っていて。最後に聞いた僕の質問で言われた解答を聞いて、あぁ、そういうことだったんだというのが分かったので、すごく腑に落ちました。

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