長谷川:前置きが長くなりましたけど、次が今日のテーマなんです。公共建築を手がけるようになってから、「第2の自然としての建築」っていうテーマを1番に掲げてやってきたんですね。建築を自然に近いようなものにする事によって、私たちがいる場所としての快適性を得られるんじゃないか、あるいは自然が持っている複雑さとか揺らぎとか、そういう感性に響いてくるような質を建築の中にどうやって取り込めるかってことを、公共建築をつくりながら考えていったんです。私が菊竹事務所で大きな建築をやっていた頃は、そこにいる人達とかそこを使う人達が見えなかったっていうのが正直なところなんですよ。都城でも萩でも設計はすごく刺激的で楽しかったですけど、どうも使う人が見えないなっていう不安を持って仕事していました。最先端のすごい建築をつくっているという思いと、もう1つ、これらの建築が本当に地域に根ざしてはいないのではないか、オブジェとしてつくっているだけなのではないかという思いと2つあったんです。
 だから私は公共建築を始めた時に、ちょっとちがうやり方をしたいと思っていました。例えばこの湘南台では、敷地を見に行ったら、この敷地は丘だったのを区画整理して平にしてしまったんだと。丘がある時にはそこで散歩をしたり、ヨモギを採ったり、子どもたちが昆虫採集をしたり、お祭りをしたり、とにかく地域の生活の中でその丘でいろんな活動が行われていて、丘に自生している植物などと関係を営みながら人々が生きていた。ここの敷地を見に行った時はまだまわりのマンションとかなくて、この工事が始まったとたんに区画整理だから周辺も工事が始まって一気にマンションになっちゃったんですよ。それでもまだコンペの時はキャベツ畑とか野菜畑が周りを囲っていて、丘があったっていう歴史が良く分かった。だから私は、もう1度ここに丘を再現する事によって、いわゆる立派な公共建築とはもうちょっと違うものをつくりたい、って思ったんですね。で、建築を全部地下に埋めるっていって地層みたいなスケッチを描いて。しかし公共建築っていうのはそれじゃダメなんですね。コンペの結果でも立派なファサードを持った高層ビルみたいな案がいくつか選ばれていましたよね。やっぱり公共建築っていうのは1つの政治的な権威のシンボルなんだから、そういうシンボリックなオブジェが望まれていて、「丘をつくる」なんて案は相手にされないよってスタッフ達にさえ言われました。それでみんなして地下に埋めてある建築をボンボン上に出すものだから、喧嘩しながらコンペをやっていました。コンペの後ももっと建築を上に出して欲しいという要望があって?、コンペ案では3つぐらいの機能を持っているこの施設の床面積の80%ぐらいが埋まっていたのに、実際は70%ぐらいになっています。まあ、しかし建築を埋めるとか上に出せとかいいながら、コンペの時もその後もどうやって建築を「丘」とか丘にあった自然の様相に近づけるかっていうことをずっと議論していたんです。「丘」にするっていうのは、単に建築が埋まっているとか丘みたいに緑で覆われているっていうことだけじゃないんですね。散歩とか、植物採集とか、お祭りとか、地域の生活の中にあった市民のいろんな活動を公共建築の空間にもちこむっていうことでもあるんです。だから、「丘」に近づけるためには、この地元の人たちにこの建築を理解して欲しいっていう思いがありましたね。市長さんとかいろんな人の応援があって、農協の人が市民が集まる場所を提供してくれて、意見交換とかワークショップする場所ができて、設計と並行しながらずっと市民の意見を聞く会合を続けることができました。公共建築としては最初のワークショップだったんですね。公共建築をよく使う市民や専門知識のある市民、子供たちのワークショップも含めて、色々な人たちと会いました。しかし市民集会とかワークショップっていうこと自体が、批判はされても誰も褒めてくれない時代でしたね。そんなポピュリズムをやって公共建築をダメにするなってえらい先生から電話がきたりね(笑)。色々とあって、でき上がった時も全然評価されなかった。

芦澤:今ではワークショップが当たり前ですけど、その時は先駆的だったじゃないですか?

長谷川:そういう実際に建築を使う人たちの生の声を聞いて、どうやって使うかをみんなに伝えてきたから、今でもよく使われるんです。公共建築は飾っておくものではなくて、使われることが目的だと私は思っているもんだから、使われる建築をつくるために生の意見を聞いて、建築の意図もしっかり伝えてつくっていきたいと思っています。この間、湘南台をみた隈さんから「壁とか床とか瓦で、みんな土を塗ってある、こんな土建築だとは知らなかった」と言われたんですけど、湘南台って全部左官屋さんの土でできているんですよね。ローコスト建築だったけど、丘を立ち上げるんだから、土を塗りたい、屋上庭園を作りたいと。当時はまだ屋上庭園なんて技術がなかったから本当にみんなが反対しました。建築が汚れる、水はどうするんだとか。建築と植物を一体にするなんて邪道だって怒りに来た植物の大学の教授がいたくらいで。それくらい建築の中に植物を持ち込むことへの拒否反応がある時代でしたから、私は屋上庭園を一から研究してつくるしかなかったですね。
 レクチュアでメキシコに行った時、ピーター・アイゼンマンさんと一緒だったんですね。日本で評判悪い建築ですって言ったら、「僕も見たよ、君の建築はインテリアだね」っていうようなことをその会場で言ったんですよ。地下に埋まっているこども館なんかでも、天井が高くて、千何平米あるという大きな空間でフレキシビリティーをもたせている。地下の体育館でもサンクンガーデンに面していて10メートルぐらい地下にもう1つグラウンドレベルがあるようにできているんですね。そういう「ガランドウ」的空間を見て、アイゼンマンさんは日本人っていうのは内部空間のつくり方が違うと。「ガランドウ」っていう仏教の中にあるような何もない空間から自由さとか多様さを受け取ってくれて、凄く評価してもらってびっくりしました。

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