長谷川:これは分棟式にできているフルーツミュージアムです。フルーツミュージアムはこの地下に、大きな千何uのコンクリートの箱が埋まっていて、地上は緑のグランドです。これは1995年、新潟のコンペの年にできたんですけど、まさに当時普及しつつあったCADを使って、曲率の異なる1/4の楕円球を4つ合わせて変形したドームを作るとか、球体のドームを色々に変形させたり組み合わせたりして、4つの形の異なるドームをつくりました。1995年っていうのは、藤村さんが言う「批判的工学主義」への変化の年であると同時に、コンピューターが設計で本格的に使えるようになってきた頃でもありますね。
 1985年のSDの表紙に、住宅の断面とか平面を重ねて3Dっぽくしているのあるじゃないですか。あれは友達に手伝ってもらいながら描いたものです。パソコンはまだ60ビットぐらいで弟と碁をやるために買ったんですけど。アメリカに行ったときに、コンピューターでいろんなファサードをつくっているのを見たりして。集合住宅なんかをやるのに、平面をちょっと変更するたびに何度も描き直すの嫌だなあと思って事務所にも導入したんですよね。最初に本格的にコンピューターを設計に使ったのはコナヴィレッジ(1990)でした。高圧電線が敷地を横断していたりすごく複雑な制約があったので日影計算をコンピューターでやっていましたが、それはまだまだ大変な時代でした。スタッフがデータを作って帰ると、夜中パソコンが計算して朝スタッフがでてくる頃にやっと終わっている、それを見てまた微調整するというような感じでした。フルーツミュージアムの設計は1990 年代の前半ですけど、ようやくコンピューターで、これは果物の種だといってイメージをつくったり、スタディをしたりっていうレベルまで使えるようになってきた頃でしたね。 
 ロンドンのレクチュアに行った時にフルーツミュージアムのCGを紹介したら、もうほぼ形はできているのに、オヴ・アラップが計算させてくれって言ってきて、OKしたんですよ。その頃、ハーバードに教えに行っていたんですが、そこにアラップからファックスがきて、フレームとフレームを繋げるところにみんな鋳鉄のボール・ジョイントがついているような、いわゆるハイテック・スタイル風の絵が送られてきたので「ちーがーうー」って言って。(笑)「日本の造船所は全部溶接でつくるんだ!」と言ったら、「嘘だー!」「そんなんでできない!」ってオヴ・アラップが言うので、もうたまりかねてボストンからロンドンに飛んで行きました。

平沼:ははは。

長谷川:それでアラップに乗り込んで「溶接でできる!」っていくら言っても絶対信用してくれないので、その場で横浜の造船所に電話してファックスして「できますよね」って念を押したら「できます」と。それを聞いたアラップの人たちがみんなで大声あげたってのが1番印象的で覚えています。伊東さんのせんだいメディアテークも本体は同じ造船所でやっていたんですよ。80年代を席巻していたハイテック・スタイルの建築とちがって、ジョイントがないので自由でなめらかな曲線がつくれる訳ですよ。そのあと、アラップがフォスターやら誰やらとあっちこっちでみんな溶接建築をつくるものだから、一気に建築が溶接の時代を迎えてって、なっていった先駆けみたいな建築です。
 色々な公共建築をやってきましたけど、公共建築をつくるのに1番難しいのは、市民よりも行政とどう関わるかですね。行政はやっぱり建築家ではないし技術者でもないから、面白い建築をコンペで選んでもエンジニアリングの力が弱いんですよね。エンジニアリングの部分を理解してくれる担当者がいないとか、技術的な提案を実現していくプロセスへの関わり方がまだできていないところがありますね。技術的な事になると、新しい提案がなかなか受け入れてもらえない。私たちは割と早い段階から事務所にコンピューターを導入していましたし、それこそ山梨のフルーツミュージアムをやるために相当導入しましたので、いろいろと提案したいことがありました。「すみだ」は新しいタイプの生涯学習センターとして作られたんですけど、その中に3つの部門があるんです。いわゆるオーソドックスな公民館的機能をもつ部門と、音楽スタジオとか演劇のパフォーマンスの部門と、図書館的機能と映像の編集をしたりするメディア部門。それぞれをブリッジで繋いで、人が行き来しているところを見えるようにしようとか、コンピューターのネットワークをはって3つの部門を繋いでさまざまな活動を共有したり外部に情報提供したりとか提案したんですけど、行政の人がついてきてくれなくて大変でした。すごく一生懸命考えたのになかなか受け入れてもらえない時代でしたね。

芦澤:ははは。

長谷川:それまでいろんなCADを使っていたんですけど、新潟のコンペの後、あの大きな楕円形の建築を高い精度で設計するにはAuto-CADしかないって、一気に10数台Auto-CADを導入して、同時に事務所全館にネットワークを引いてもらったんですよ。何千万もかかっちゃうような話だったんですけど、それを引いてくれるっていうのでコマーシャル出ちゃった覚えがあります。絶対テレビのコマーシャルやらないと思っていたのに。(笑)

芦澤:ははは。

平沼:その設計者が長谷川さんしかいないから、そういうオファーがあったって事ですね。

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