古谷:はい。たまたま愛知県の建築士会から、「自分が建築家を志したきっかけは?」っていう原稿を頼まれて、先週、偶然に書いていたので、よかったです。(笑)
その原稿を書いているときに思い出していたんですけど、いつ建築家を志したかって言われると、高校の時に数学好きだし美術好きだし、それじゃあ建築かな、みたいな意外に単純な、平凡な理由なんです。ただ、この世界に建築家っていう商売、職業があるのを最初に知ったのは東京オリンピックのときなんです。小学校4年生だったと思うんですけど、代々木にあの体育館ができて、こりゃあすごいなって思って。それでそれを丹下健三って人が設計したってというのがニュースなどでわかって、建築家っていう仕事があるんだっていうのを初めて意識したのがその代々木のオリンピック競技場なんですよね。だからと言ってそれからまっしぐらに建築家を目指してた訳じゃないのはさっき言った通りで、高校でもう一度進路選択する時に思い出したんです。でも僕の通った都立青山高校ってわりと渋谷の近くで、帰り道に代々木の前とか通れるような所だったから、わりとこの体育館は日常的な風景でした。札幌オリンピックの時に一躍有名になったアメリカのフィギュアスケート選手のジャネット・リンって可愛い女子選手が、札幌の後、エキシビションで代々木で滑って、尻餅ついたのね。で、みんなで「ジャネット・リンが転んだところで滑ろう。」みたいな感じでスケートリンクに出かけてって「ああ、ここらへんだ!」とか言いながら滑ったりしてました。その時建築やろうかなと思い始めてたから、またもう一度代々木の競技場を改めて思い出して、改めて確信みたいなものになっていったと思います。少年時代とは言えないかもしれないけど、高校生まではそんな感じでした。

平沼:なるほど。その後、大学に進まれることになると思うのですが、建築学科へ進学しようと高校受験の時から決められておられましたか?

古谷:はい。それは、もう高校2年生頃にやっぱ建築だなとは思っていたんですが、中学高校と、遊んでるか剣道やってるかどっちかで、まったく受験勉強というものをしてませんでしたから、もはや手遅れでした。なので見事に浪人し、一年間、駿台予備校で一所懸命に勉強しました。

平沼:へぇ〜!

古谷:落とされると、どうしても建築学科行きたいなという気分がなんとなく固まってきて。そしてなんとか一年後には入学したという感じですね。

平沼:そうだったのですね。あっ、どんな建築学科生でしたか。

古谷:大学に入ってからは、芦澤さんはよく知ってるんだけど、早稲田っていう所は、人数が多いせいもあって、放任主義だった。ていうか今僕もそういう感じがするんだけども、放任せざるを得ないっていう感じです。なので、教室で先生から細かく教えてもらったっていう記憶はあんまり多くはないんだけど、入学して3週間ぐらい経った頃に、「お前世田谷の三宿小学校だろう。」っていう電話が先輩からかかってきたんですね。

平沼:ほぉ!

古谷:「はい、三宿小学校です」って言ったら、「俺も三宿小学校なんだ!で、1個上なんだけど、俺は。お前は器楽隊の指揮者をしてただろ。」と言われて「はい、してました。」と答えたら、「俺後ろで大太鼓叩いてたんだけど覚えてない?」って1個上の先輩に言われたんです。

平沼・芦澤:ははは。

古谷:器楽隊は結構生意気で、4年生で入った瞬間にレパートリーが決まって、「古谷君指揮者。」って言われたらずっと指揮者なので、大太鼓は僕は叩いてないし、大太鼓を後ろで叩いてた先輩の顔も名前も覚えてなくて申し訳なかったんだけど、とにかく「俺はお前の指揮棒のもとで大太鼓を叩いていたので、課題を手伝え。」と言われて。ははは。

会場:(笑)

古谷:それで、「俺の課題もあるんだけど、俺の先輩の課題をまず手伝いに来い。」
って言われて、だいたい入学3週間後に手伝い集団の中に収容されました。それから1年生の間に、3年生の4つの課題、それから2年生の住宅の課題、4年生の卒計、大学院生の修士設計や大学院生がやる学会のコンペなど色々手伝わされて、後から数えたら年間に120泊くらい先輩のところで徹夜してたんですよね。

芦澤:はははは。

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