古谷:そうすると耳年増になって、1年生だからほとんど建築の授業ないのに、2年生が今度課題で何をするとか、設計演習で意気込んで出かけてったら、芦澤さんの先生だけど、石山修武って人にめちゃくちゃにやられて帰ってきたとか聞いていたんですよね。で、僕の頭の中にも「イ、シ、ヤ、マ、オ、サ、ム」ってカタカナのような感じで、巨大な敵がいるんだなっていう事が分かったりするような耳年増になりました。それからまた生意気な3年生の先輩が「来月ロバート・ヴェンチューリのa+uが出るから、今は分かんないかもしれないけど買っておけ。」とか言われたので、それを買って読んだけどよく分かんないし、大学院の先輩は「ちょうど使える奴がいるらしいから、古谷はちょっとデザインサーベイに連れていこう。」とか言って、岡山県の、今はもう橋が架かった、下津井っていう所へデザインサーベイに来いって言われました。さらに来るんだったらその前にこれを読めってクリスチャン・ノルベルグ=シュルツの「実存・空間・建築」を教科書で渡されたのですが、読んでもこれまた分からない。1年生が何を読んでも全然意味が分らないんだけど、とにかく読んでから来いと言われて、行ってました。

平沼:その頃は、1年生ですか。

古谷:うんうん、そういう耳年増な学生時代でした。

平沼:当時の早稲田といえば、大学も建築学科も、絶頂期のような、凄い時代だったように感じているのですが、先生はどなたがおられましたか。

古谷:学科には18人先生がいて、そのうち5人も現役の建築家が居ました。建築のデザイン、建築計画に、理工学部のキャンパスを作った安東勝男さん、池原義郎さん。そして、僕の先生になった穂積信夫さん。3人とも、学会賞を取る建築家ですね。一方、都市計画に居たのが、武基雄さん。それから、象設計集団の先生である吉阪隆正さんですね。この5人の現役の建築家がフルタイムのプロフェッサーとしていました。

平沼:菊竹さんもその頃には、来られておられました?

古谷:えぇ、菊竹清訓さんは専任じゃなかったけど、非常勤で来られてました。

芦澤:専任の先生ってあんまりちゃんと教えてくれませんよね。

古谷:全然教えてくれない。

一同:あはは

古谷:それが、今僕にも確実に踏襲されてる訳ですが、早稲田大学っていう所は、入学して最初に全員新入生が揃って、建築学科の全先生が並んで、一人一言ずつ訓辞を下さる日があるんですよ。その最初のガイダンスの時に、吉阪先生が、「ここに180人の皆が居るんだけれども、皆が卒業する頃にはビルのひび割れ直しくらいしか仕事がないよ。」と言ったんですね。僕たちは希望に燃えて入ったのにどうしてと思ったんですけど、実は、僕が入ったのが昭和49年、1974年なんですけど、前の年のちょうど暮れに、オイルショックが来たんですよ。日本中皆がトイレットペーパーを買い漁った、初めて戦後から続いていた高度経済成長に水を差された時なんだけど、とにかく成長してたから誰もが「そうは言っても」というぐらいの気分だったんですよ。前年の暮れに起こって、まだ4月の話だからね。ところが、吉阪先生だけは、「きっと君らが出る頃には、ビルのひび割れ直しくらいしか仕事は無くなっているだろうな」と言われた。

平沼:なるほど。

古谷:変なことを言う先生だなと思いました。しかもその先生が、「180人居るんだけど、この中で卒計をやって、10番に入るようだと良い建築家にはなれないよ。」と言われて、ひげの風貌も相まって、これまた不思議なことを言う先生だなと。

一同:あはは。

古谷:その時は印象には残ったけど、それ以上深刻には考えてなかったんですが、実際4年後には、本当に建築は構造不況業種の真っ只中になって、早稲田でそれまで何十人も行ってた大手五社から求人ゼロになりましたからね。そして、ひび割れ直しよりはましだったかもしれないけど、本当に長期低成長時代の幕開けだった訳です。

そんな時にその事が分かるっていうのは、吉阪さんの先見の明っていうのはすごいですね。一方で、10番に入っちゃいけないっていう方。たまげたんだけど、僕うまいこと10番に入んなかったんですよ。卒計で、先輩たちの下馬評では、僕か、もう2人名前が挙がっていて3人のうち誰かが一等の村野(藤吾)賞を獲るに違いないと、一応僕も先輩達の下馬評の中ではノミネートされてたんですが、10番にも入ってなかった。10番以内だけ当時は発表されてたんです。分かんないから僕は勝手に13番って言ってるんですけど、本当は分かりません。後の2人は、1等獲ったのは日建設計に行った富樫(亮)で、もう1人は竹中工務店にいる、あの竹中の東京本店をつくった菅(順二)です。事実、2人は立派な人生を送ってると思います。3人目の僕だけ番外で、この2人が良い建築家にならなかったとは言わないけど、本当に優秀で、立派な大企業の建築家になってるけれども、吉阪さんが言った良い建築家というのとは部類が違ったんだろうね。だからそれもじわじわ当ってるんじゃないかなと思い始めたりしてます。
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