古谷:その後、実は学生時代に最も嫌いな建築家じゃないかと思ってたのは、カルロ・スカルパなんだけど、これがある時180度、変わるんです。実際にカルロ・スカルパのカステルヴェッキオというベローナにある美術館を見た時に全然印象が変わっちゃって、技巧的でディティールに凝った装飾的な建築家の様に見えていたんだけど、全然違うことに気が付いて、それは、彼は仕事のうちの8割方がレスタウロって言うリノベーションか、展覧会の展示計画みたいな、いつも建築が先にある所に何かするって仕事がほとんどだった建築家ですけど、じゃあそういう改修専門のデザイナーだったかというとそうじゃなくて、仮に古いものであっても余計なものは切り捨てて、ある物を活かしながら自分が思う必要なものを付けくわえて、新しいものと古いものが組み合わさった、全く新しいものをつくってるってことに瞬時に気が付いて、これはすごい事じゃないかと思いました。
モダニズムの建築家達は自分の仕事は更地の上に家を、自分の構想で建てている様に思うけど、ちょっと引いてみると更地の敷地も何かに取り巻かれてますし、土地の来歴とか、そういう事を含めると本当の白紙って無いんですよね。だから、大概のものは更地の上に建築していても、その周りを含めた環境に対する「増築」なんですよ。あるいはそれのリノベーションなんです。だからその物に新しい物を加えてどういう相乗的な空間が生まれるかってことを考えるカルロ・スカルパの考え方は、もの凄く新しいことをやってるというふうに、勝手に気が付いて以来、カルロ・スカルパがもう一人の、凄く重要な影響を与えられた建築家になりましたね。だからその両方に影響を与えられています。最近面白いことに、僕はどうしてこの正反対なものが好きなのかっていうことを考え始めて、実は二人に共通するものがだんだんわかり始めたんですけど、

平沼:あるんですか。

古谷:あるんです。簡単には答えられません。ふふふ。もうちょっと取っておきましょうか、それは。

平沼:ジョン・ヘイダックとか、セドリック・プライスとかレム・コールハースとか元々作ってなかった人と、ジュゼッペ・テラーニだったり、カルロ・スカルパだったり、作って感動させてくる人達の共通項を、聞いたことないです。全然違うと思ってました。あるんですね。

芦澤:一点だけちょっとお聞きしたかったんですけど、ご自宅というかまあ自邸ですね、自邸っていい意味でも悪い意味でも、建築家ご自身の思われていることだとか、あるいは自分の将来に対しての表明ですとか色んなものが現れてくると思うんです。古谷さんのあのご自邸を他の作品と並べて見させていただいても、周りに樹木があるということはあったとしても東京の世田谷にしてはかなり開けっ広げな、言い方は悪いですけどある種バラック的にもとらえられるつくり方にも見えるんですけども、何かご自邸に対して特別思われていたことっていうのはありますでしょうか。

古谷:やっぱり実験ですね。自宅は一般的なお客さんのいる仕事では出来ない、自分が試みたいなと思うことは、何でもやってみようみたいな感じで、失敗しているものもありますが、実験の山盛りみたいなもんです。ガラス張りに見えすぎちゃう夜景の写真が良くないんだけど、普段はあんなに開けっ広げに感じないんですよ。それは周りにはやっぱり庭木があるし、それから実は一対一の割合で壁と窓壁と窓が入っている面は、斜めに見るとほとんど中身は見えないんですね。だから真正面は必要に応じて昼間は開けてるけど夜はブラインド下すみたいな感じですが、意外に閉ざされてるんですよ。それも含めて実験でした。自分の子供に種痘しているジェンナーみたいな気がしてました。それが15年以上経った今頃になって、過激過ぎた実験の部分もあって発症したものもあったりして、色々問題はあるんですけど。スライド先行っても良いですか。

平沼:すみません、はい。おねがいします。

古谷:次にお話ししたいのが、これ小布施の図書館「まちとしょテラソ」なんですけど、これが何で三角かっていうと、元々コンペの敷地はこういうL字型の敷地だったんですね。でL字型の敷地なんだけど、L字型の右上の使っちゃいけないという駐車場の部分は、空間的には繋がってるので、そこにL字型のプランをつくっちゃうと、何かよく分からない事情が建築の形を決めちゃうことになってそれは嫌だなと思ったんで、向かいにあるお寺の緑とまっすぐ平行に立ち向かうように下の斜めの線を引いて、全体を正三角形にして、書庫の所だけ四角いのを足して、桜が生えてるから尊重して、左側の桜のとこだけ削ってできたプランがこれで、このスケッチは結構転換点になったスケッチなんです。下はスタッフがこんな感じになりますって描いたL字型のプランを、そうじゃないだろって言って変えたやつです。提案はこんな風になりまして、ワンルームです。モンゴルのゲルじゃないですけど、この中でお年寄りから子供まで区分けしないで全員この中で本を読みましょうよって図書館を提案しました。子供の声はうるさいんじゃないか、子供は集中できないんじゃないかと随分抵抗されました。この真ん中にいる人が初代館長の花井裕一郎さんという素晴らしい人です。ここの子供達、たしかに賑やかなんだけど、いつも騒々しい訳でもないんですよね。この中で大人と一緒にいると、だんだんわかってくるっていうか、そこでやたら馬鹿騒ぎしてちゃ迷惑もかかるし変だって感じになってくる訳ですね。そうすると落ち着いてくるし、本を読むようになる。子供が学校に行っていて、いない時間もありますから、もっと小さい子供が安心して遊べる時間もあれば、年寄りたちが静かにお喋りしながら楽しく読書する時間も来る。1箇所にだけ飲み食いしていいテーブルがあったりするんですが、それ以外はほとんど、自由な大きなオープンな空間としています。で、この僕はこの、この図書館の考え方を一緒につくったんですけど、結構気に入っていて、図書館って静かに本を読む所というよりは、みんなが集まって賑やかに本当に多世代が交流できる場所にしようと作った最初の例ですね。周りに街灯を全く付けなかったんですけど、建物の灯りが周りに漏れて、自然にそれが外構の明かりになってます。驚いたのが自分でも気がつかなかったんだけど、でき上がってみたら屋根が後ろの山と同じ格好をしてたっていうことですね。きっと頭に刷り込まれちゃってたんでしょうね。それがある種の「surroundings」なんですけど、知らない形でこの中に反映されていると驚きました。
逆にこれは中野坂上の実践学園の自由学習館っていうこれも読書空間ですが、西新宿が見える、非常に高密な所です。手前側にある公園の緑を生かそうとして作りました。周りはアパートとかマンションに囲まれているから大きな窓は開けられない。だから隣の公園だけに対して少し大きくあけて緑が館内のありとあらゆる所から見えてくるような仕掛けを作りました。閉ざされているんだけど、緑が感じられる。これは地下室ですけど、地下のホールからも緑が見える。あんまりディスターブしないように公園の側だけ壁面を黒くして姿をちょっと消しています。これも周りと応答してますよね。

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